2007トルコ

2007年、トルコの旅

旅の日程:2007年3月9日〜16日

■旅立ち

旅立ちの日の朝、家から中山駅へと向かう道のことを覚えている。恩田川にかかる都橋をわたり、レミオロメンの「3月9日」を聞いていた。その日はたまたま3月9日だった。流れる季節の真ん中で、2週間後には大学を卒業し、社会人になる。学生時代の最後の旅。それがこのトルコの旅だ。

中学以来の友人で陽介氏という男がいる。彼もまた同じタイミングでトルコを旅する予定という。それならば、トルコのどっかで会おうという話になった。彼は一足先にカンボジアへ行き、ドバイを経由してから、トルコに入ると旅程らしい。「3月10日の10時頃に、イスタンブールのブルーモスクにて」とざっくり約束をした。

■モスクワ空港トランジット

成田からイスタンブールへ向かうフライトは、アエロ・フロート航空。ネットで格安航空券を漁った結果、このロシアの航空会社になった。今まで使った航空会社の中で、もっとも印象深いフライトだ。機内のトイレのドアは壊れて閉まらないし、機内食のハムはサクサク凍っていた(ロシアはロシアだ)。

トランジットで経由した、初めてのモスクワ空港。何となく感じるどんよりとした雰囲気、無機質な構内の色、無愛想な空港スタッフ。それは、ロシアの一面なだけなのかもしれないけれど、これまで訪れた国では全く感じたことのなかった異質さみたいなものがあり、なんだか怖ささえあった。旧共産圏ゆえなのか、もともとのロシアという国の色なのかどうか。エアポートは国の顔だなと思った。

■イスタンブールの冷たい朝

イスタンブール到着は、早朝だ。まずは旧市街へ出て、今夜の宿を探すことにする。イスタンブールの朝は、とても冷え込んでいて、私はとても弱気になっていた。飛行機の中で読んだ「社会人マナー本」のせいで、新生活に余計な不安が募ってしまった。どうやら本のチョイスを間違えてしまったらしい。

目的の宿は、マーヴィーゲストハウス(Mavi Guesthouse)。観光スポットへのアクセスも良い。ここで2晩分のベッドを確保して、さっそくイスタンブールを歩く。ボスポラス海峡が見える場所へ出た。

まずは、トプカプ宮殿へ。歴代スルタンの権力の象徴だ。宮殿はとても広くて、建物や庭の細部にいたるまで美しさがある。ハレムと書かれた部屋もあった。スルタンはここでどんな日常生活を送っていたのだろう。

歩いてすぐそばにある、アヤ・ソフィアへ向かう。ビザンチン帝国やオスマン帝国の長い歴史の中で、キリスト教からイスラム教へ変遷する宗教的中心としての役割を果たしてきた大聖堂だ。観光客も多い。なんとなく心が冷え込んでいたせいか、まだ旅を楽しめていない自分がいた。旅のスイッチが入らない。

先述の陽介氏と待ち合わせということになっていたが、なかなか見当たらない。旅は予定が変わるし、何かあることもある。まぁいっかと思っていたら、大聖堂の中でばったり出くわした。ここまでの互いの旅情報を交換し、ついでに飯を食べる。食堂のトルコ人おじさんはとても愛想が良かった。心の寂しさから開放された気がした。陽介氏とは、ここで一旦別れて、また数日後にパムッカレで会おうと決めておく。付かず離れずな旅は続く。

■サッカー観戦

前にバルセロナで出会った旅人が、スペイン・サッカーを見た夜に大興奮していた話を聞いてから、海外サッカーを生で見てみたいと思っていた。トルコにもプロサッカーがある。イスタンブールで試合日程をチェックし、スタジアムへ向かう。チケットの買い方もよくわからなかったが、とりあえず買うことができた。一番安い席は混雑していたこともあり、荷物の盗難に警戒していたら、なかなか素直にゲームを楽しめなかったような気がする。たまたま元日本代表監督のジーコが、地元チームの指揮を取っていた。

■ボスポラス海峡の風

イスタンブールに広がるボスポラス海峡。アジアとヨーロッパの境目と言われている。海の向こう側からアジアが始まる。フェリーを使えば、アジア側に簡単に渡ることができる。名物のサバサンドを屋台で買い、船の上で風を感じながら食べるのは最高だ。サバサンドは、私の中の「世界三大グルメ」の1つだ。

地下宮殿を見学したあと、郊外にある城壁を見に行く。携帯していた本に、塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」がある。1000年の栄華を誇った東ローマ帝国が、オスマン・トルコに敗れる戦いの物語だ。ヨーロッパ世界が、アジア世界に敗れること。世界史の転換点。この戦いは、大型船を山に引っ張り上げて、反対側の海に移動させた歴史絵図でも有名だ。その奇襲的戦略もあって、難攻不落と思われていたコンスタンティノープルはついに陥落。コンスタンティノープルという名前は、イスタンブールになった。城壁に手を触れながら、その壮絶な戦いを想像する。本で仕入れた知識が実感に変わっていく。

■パムッカレへ

旅はイスタンブールを離れて、夜行バスで、パムッカレへと向かう。トルコの大地は広い。旅人にとって、長距離バスは有効な手段だ。特に夜行バスは評判もいい。快適なシート。そして、ドリンクやおやつサービスもあると聞いていた。宿代も1泊分浮く。夜のバスターミナルには、さまざまな目的地へ向かうバスが集まっていて、バスを間違いないように乗り込む。思ったよりも快適な旅で、車内でお菓子やジュースが配られたり、なかなか面白い体験になった。

早朝にパムッカレへと到着した。世界遺産パムッカレは、雪景色のような真っ白な不思議な場所だ。炭酸カルシウムが作り出した、奇観はどこまでも広がる。バスを降りたときに日本人の旅人と出会い、ともに行動することにする。建築家を目指しているというその人は、自分がまったく知らなかった建築世界について話を聴くことができ、新鮮だった。

ローマ式の古代遺跡が広がっている。ヒエラポリスという。円形劇場は広大で保存状態もいい。

石灰岩が作り出したパムッカレはトルコの旅のハイライトだ。真っ白な世界は、なんとも言葉で評できないほど美しい。空がとても青く突き抜けていた。温泉が湧き出ていて、石灰岩の上に池を作り、裸足になって素足で温かさを感じることができた。水面には青い空が映っていた。

インスタブール出会った陽介氏とここで改めて再会する。彼もまた旅先で出会った人たちと同行しているようだった。ここで互いに合流し、一つのグループができたので、一緒にご飯を食べる。

早朝に着いたばかりだったが、この日の夜のバスで再び移動する。

■カッパドキアへ

ギョレメの街の朝は、雪景色に包まれていた。ギョレメはカッパドキア観光の拠点の街だ。カッパドキアはトルコの旅一番のハイライトであり、2泊3日の時間も確保した。

「たけのこの里」のような形をした奇岩が、広大な大地一面に広がっていて、自然は不思議なものを作り出すものだとただ驚嘆してしまう。その岩の内部の洞窟をホテルにした場所も点在する。高級ホテルだけでなく、格安ゲストハウスもある。今回の宿は「travellers cave pension」だ。この宿は、日本人バックパッカーも多く、一緒に行動したり、食事をしたりする仲間がすぐに見つかった。その中で青山さん(仮名)は、お互い大学4年生ということで、気も合い、カッパドキアで一緒に行動するようになった。このゲストハウスは、ツアーの申込みにも便利で、常駐している日本人女性(彼女も旅人らしい)が日本語で世話をしてくれて、信頼もでき、ありがたかった。カイマクルの地下都市へのツアーを申し込んだ。

カイマクル。アリの巣のように、地下には人工の迷路があって、部屋や廊下がどこまでも続いていた。遠い遠い古代に、この場所で暮らすことを決めた人々がいたのだろう。それは防寒のためか、外敵から身を護るためか、様々な理由があったのだろうと想像する。きっと当時の人々は、岩を削って掘ってみたら、思いの外、削り取ることができて、地下へ地下へ掘り進めたのだろう。長い長い年月をかけて。それが今、私の目の前に広がっている。

外に出た。奇岩スポットをめぐる。岩窟教会の中の保存状態に驚く。洞窟の中は、迷路のようでワクワクする。ランチには壺に入ったケバブ(煮込み料理みたいな感じ)をほおばる。ドライバーのトルコ人は気さくで面白く、充実したツアーになった。

夜は、青山さんと一緒に、ベリーダンスが見れるというショーに参加。少しリッチなトルコ料理ディナーを頂きながら、鑑賞した。翌日には、山をハイキングするツアーにも参加し、あたり一面が積もった雪の中、天気は快晴で素晴らしいハイキングになった。そんなカッパドキアの充実した日々は、あっという間に過ぎ、最終日となった。

■雪と手紙とチャイと

トルコ最後の日の午後、ギョレメの街は雪が舞い降りていて、白い銀世界に包まれていた。ゲストハウスの近くにある小さな喫茶店のような店で、温かいチャイを飲んでいた。前に旅仲間と一緒にきてから、毎日のように通っていた店だ。店主は、温かく優しい人柄のおじいさん。

雪が降る中、ストーブが温めてくれる店内で、私は手紙を書いていた。旅で感傷深くなっていたせいか、手紙を書いてみたくなった。それは、大切な友人に向けた、長い長い手紙で、気がつけば便箋4枚になった。あまりにも夢中になっていたのだろう。時間の感覚もなくなっていた。店の主人は、そんな自分の様子を見守っていてくれたのだろう。チャイのおかわりをサービスしてくれた。雪と手紙とチャイと人の温かさ、優しさ、ぬくもり。そんな豊かで贅沢な時間を過ごしていた。

■エピローグ

こうして1週間のトルコの旅は終わった。それは学生という時代の終わりであり、これまでの長い長い旅生活の終わりでもあった。

カッパドキアで出会った友人の一人は、地元が同じ横浜で、家も近かった。帰国後に、陽介氏を交えて、一緒にご飯を食べたり、富士急ハイランドに行ったりして、今でも長い付き合いになっている。彼女はネパールにハマり、自分の飲食店をオープンさせる夢を叶え、仕事を中断して長い長い世界一周に出て、地方移住したりと、自分の人生を謳歌している。その情熱と行動量には、旅から16年以上経った今でも、いい刺激をもらっている。またいつか再会したら、いろいろな話が聞きたい。また会える日まで元気でいてほしい。

陽介氏とはパムッカレで別れたあと、イスタンブールに戻ったとき、ガラタ橋で財布をすられたという話を後日聞いた。どうやって日本に帰ってこれたのか詳しいことは思い出せないが、無事帰ってきて今に至っている。なんやかんやで腐れ縁の一人だ。

トルコで美味しかった食事は、シンプルにパンだった気がする。食堂のテーブルには、小さな蓋付き容器にパンが入っていて、それを自由に食べることができた。パンそのものをシンプルに美味しいと感じた。パンは世界中にあるけれど、トルコのパンは世界一のはずだと思っている。そして、食堂の温かいスープにパンを浸して食べるとこれもまた格別のうまさだ。

トルコから帰国した翌日から社会人になった。時差ボケの身体のまま、新入社員研修が始まった。眠たい初日にTOEICテストを受けたり、同期の人たちと研修所でワイワイ過ごしたり、そんな日々が動き出した。

きっと誰もが、長い人生の中で、学生から社会人へと一つの線を超えるときを迎える。その節目の直前に、旅先にトルコを選んで本当によかった。美味しいものを食べ、美しい自然に触れ、そして何よりもたくさんの素敵な人たちと出会った。トルコの旅は、これから新社会人になる自分の背中を力強く押してくれた。私は、新しい世界への扉をトルコから開いた。

<完>