2003台湾

2003年、台湾の旅

旅程:2003年12月

■旅のイントロ

「12月に講義さぼって台湾いきませんか!?台湾は沖縄並みに暖かいです!!」

中学来の友人ヨウスケ氏に送った一通のメール。すべてはここから始まった。ときは大学1年生の秋。あまり時間的な余裕も金銭的な余裕もなく、旅の日程は5日間と決まった。エキサイティングでリーズナブルという理由で、旅のスタイルは、パックツアーではなく航空券のみとし、HISで格安航空券を入手。出発前に、「台湾紀行」(司馬遼太郎著)や「台湾論」(小林よしのり著)など、台湾関連の書籍を読み漁り、今まで全く知らなかった台湾という場所がどんなところかの一定の知識を得た。この経験は、のちに大学の卒業論文のテーマにつながり、台湾を研究することが学業のコアとなる。

ヨウスケ氏と話し合った結果、旅のテーマは、「おもしろ写真を撮りまくる」「食い倒れる」の二本立てで決まる。当時はまだ使い捨てカメラ全盛期の時代であった(結果、5日間で6台のカメラを使い切ることになる)。

■台湾のこと

台湾は、沖縄の少し先にあるサツマイモのような形の島である。第二次世界大戦が終わるまで、ここは日本であった。敗戦した日本が台湾を去った後、中国大陸からは「中華民国」がやってきた。そもそも台湾は中国なのかどうか。この「中国」という単語はなかなか曖昧で、ある意味都合がいい単語でもある。中華人民共和国、中華民国、中華帝国、中国文化圏など、さまざまなニュアンスになりうるからだ。テレビのニュースでも学校の授業でも、なんとなくぼかされているような気がする。それはたぶん、政治や歴史や国際関係が絡んだ複雑で繊細なテーマだからなのだろう。多くの日本人には、「台湾って中国だっけ」というぼんやりとした錯覚があるように見える。でも実際、台湾に入国すれば、パスポートには中華民国というスタンプを押される。ここには中華民国という国家、独立した政府が確実に存在している。

■たべもの

台北の街を歩く。道路や下水道、走っている車やバイクなど、台北は近代化された街だ。公衆衛生も十分だし、清潔さや治安という面でも、日本と遜色ない。違う点といえば、看板が全て漢字であること、耳に入ってくる言葉が外国語、道行く人々の顔立ちなどには外国であることを感じる。物価は若干安い気もするけれど、驚くほど安いというわけでもない。

台湾の魅力は「食」だ。台湾の食事は美味しい。街中どこにでもある食堂は気軽に入れる。「~麺」とか「~飯」とかメニューの漢字を頼りに注文する。また「自助飯」と呼ばれるシステムは、旅人にはとても魅力的で、トレーにおかずを盛ってもらい、取った分だけ代金を支払う。米が進む進む。

一番のお気に入りは「魯肉飯」(ルーローファン)だ。ご飯の上に、そぼろのような煮込んだ肉をかけて食べるシンプルなものだが、最高に美味しい。初めて台湾に到着して、初めて食べた屋台料理は魯肉飯で、そのときのことは一番印象に残っている。

■夜市へ

台湾の旅のハイライトの1つは「夜市(よいち)」だ。毎晩お祭りのごとく夜店・屋台が並び、大勢の人々で賑わう。台湾人は夜も元気だ。その中でも最大規模のものが、「士林夜市(しーりんよいち)」。

夕刻、カッシーくんと合流する。彼は、今回の旅の相方ヨウスケ氏の大学の友人だ。このとき台湾留学中で台北で生活しており、彼の案内のもと、3人で夜市へと向かった。

士林駅を降りると、すでに眩い明かりが通りを包んでいた。それはまるで、子供の頃、夏祭りに出かけて、遠くから音と光に包まれた空間を見たときのようなドキドキ感であった。夜市にはたくさんの屋台が並んでいる。何を食べても本当に美味しい。値段も手ごろで、目に入ったものを次々に消化していく。おこわにカニスープ、小籠包、きなこもち、レモンゼリージュース。特に「胡椒餅」は絶品だ。食べ物以外にも、服・カバンやアクセサリーはじめ、CD・DVDなどもあり、日本のアーティストも大量に並んでいる。

ゲームセンターみたいな一角もあった。台湾のUFOキャッチャーは、なかなか曲者で、3本の足が確実に獲物をキャッチしてくれるのだが、勢いよく持ち上げて、そのまま天井に激しくぶつかって、獲物をフリ落とす。その勢いで、こぼれ落ちた獲物をいかに穴にホールインワンできるかどうかという仕組みになっていた。なんか新鮮だ。

■高雄

5日間の短い旅なのに、南端にある高雄へ向かうという強行スケジュールを組んだ。北端にある台北から南端の高雄まで、長距離バスで約6時間ほどかかる。台北ー高雄の往復はちょっと時間がもったいなかった気もするが、長距離バスはフカフカのソファーで乗り心地は快適そのものであった。バスの旅は、台湾という島の大きさや、地方の田園の雰囲気を感じることができる。そういったことを実感するのも旅として面白い。ただ、高雄には、夕方到着して、翌朝出発するという短期滞在だったため、ここで何をしたのが、記憶が薄く、ほとんど思い出せない。

■旅のあとがき

「台湾の話、これで終わる。脳裏の雨は、降り止まないが。」

これは、司馬遼太郎著『台湾紀行』の最後の文言だ。中華人民共和国という存在が、拳を振り上げている以上、台湾の将来は今もとても不安定で不透明だ。司馬さんは台湾の旅を続ける中で、愛着を持ったこの国の行く末を想ったのだろうか。司馬さんも既に故人となった。台湾には今も「雨」が降り止まない。

台湾の旅は終わったけれど、しかしまだ終わらない。台湾が好きになった私はきっと何度もこの国を訪れるだろう。いつまでも台湾が平和を保てるように祈りつつ。

さて帰国後、旅の相方ヨウスケ氏から届いたメッセージを追記し、旅行記を完結としたい。

『今回、キミと初めて旅をしたけど、とても楽しかった。一緒に旅ができて心からよかったと思う。次は1人で旅をしようと思います。』

脳裏の雨は、降り止まないが。

【完】