【2026.05.24】vol.198 日常と非日常を往来して生きる日々

日々折々

【2026.05.24】vol.198 日常と非日常を往来して生きる日々

「100万人のクラシックライブ」に初参加。コンパクトな講堂で、演奏者との距離もすぐそばで、ヴァイオリンとピアノが奏でる生音を聞くことができた。ヴァイオリニストの息遣いが非常に印象に残った。音色の中にある、いくつかの感情みたいなものに触れた気がした。作曲家の想いとか、演奏者の解釈とか、リスナーである自分の心の中のものとか、音は、人間の心をつなぐ糸なのだろう。言葉のように、コミュニケーションツールのひとつ。アンコールは「糸」。プロの音楽家の小さな解説が、彩りを与えてくれる。そして演奏家も同じ人間であるってことを身近に感じれたかもしれない。日常の中で、こういった非日常の世界にたまに行ってみるのも、とてもいい経験。

100万人のクラシックライブ
クラシック音楽ファンのためのコンサートではなく、クラシック音楽に関心がなかった人に向けたコンサート

伊集院静「なぎさホテル」を読了。自分の目で見たものしか書けないという言葉が印象的だった。自分も、似たようなことを思っていたからだと思う。それを肯定してくれたような気がしたからだろう。書き手には当然さまざまな人がいて、それぞれのカタチで書いていけばいい。自分も書き続ければいい。ホテル支配人の「ゆっくりやっていけばいいのです」という言葉とお人柄が、優しく包み込む海のように思えた。

「自分がやりたいこと」は、「日常」がいいのか、それとも「非日常」としてやりたいのか。旅に出ることは、日常にしたいのか。それよりも非日常の中に置いておきたい気がする。たまにだから、いい。逆に仕事とか家族との時間とかは、日常の中に置いておきたいのかも。日常と非日常を往来して日々を生きる。それが自分にはいい。

ドラッカーの「何をもって憶えられたいか」という問いを、久しぶりに思い出した。「あした死ぬかもよ?」という本を読んだことが関係しているのだろう。自分の死の寝床で、自分は一体何を思い出すのだろう。今かかえる仕事の恐怖や不安なんて絶対忘れている。それくらいのささやかなもの。むしろ、妻や子どもたちへの感謝の言葉を伝えたいんだと思った。そういう夫や父として憶えられたい。

今月もグリーンバード活動に家族で参加することができた。しばらく続けてみようと思う。

駅から職場までの道の脇にある横浜銀行に、GREEN EXPOまであと300日という看板がある。そのカウントダウンは、自分が今の職場を退職するまでの日数になるのかもしれない。あの数字は、数カ月後や半年後に確実に減っているもので、そう考えると、残された時間はわずかしかないことに気づく。1日1日を大切に。ガラスのブルースのように、一秒も無駄にしちゃいけない。

以前の職場を退職した理由を棚卸ししている。外部要因・内部要因に分けて、プラスの表現とマイナスの表現でマトリクスして書き出してみた。教員をやってみたいという自分の心の動機が、そのときは間違いなく正で、そこに家族や会社の事情が背景にあって、難しい決断をしたってことだ。