ベトナム 2016
日程 2016年5月4日ー5月7日
■旅のプロローグ
最後の旅はいつだったろう。
結婚して子供もできて仕事も慣れてそれなりに回せるようになってきて、特段不自由もなく、かといって、特別な何かもなくなってきていたような、そんな日々がここしばらく続いていた。「年に2回は海外に行こう」。そんな約束も置き去りにしたまま、気がつけば3年、いやそれ以上の時間が流れてしまったような気がする。時間は加速している。20代のあの頃のような、バックパックを背負ったひとり旅は今の自分にもできるのだろうか。いや「できるか、できないか」を超えて、「やるか、やらないか」。それだけのことだろう。だから、旅をしよう、どこかへ旅をしよう。どこでもいい。数日だけでもいい。
非日常を求めるには、なるだけ遠い方がいい。4日ほどで往復できて、それなりの冒険と異国情緒を求めるならば、やっぱり東南アジアだろうか。地図を眺めていたら、なんとなくベトナムが良さそうな気がしてきた。理屈というよりも、旅の直感だ。ベトナム南部の都市ホーチミンは、12年前に一度訪れている。だから今回は、北の都市ハノイに行ってみたいと思った。そういえば、最近見たテレビ番組によれば「陸のハロン湾」というものがあるらしい。これも気になる。そして、ふと思い出した。フットサル仲間が、ちょうど今、仕事でハノイに駐在しているはずだ。よし、ハノイに行こう。
■再会
ハノイ空港。東南アジア特有の、生あたたかな風、匂い、肌触り。空港ターミナルで、両替したりトイレ行ったりと、一息ついていたら、市内行きのバスが先に出発してしまった。フライトの時刻に合わせたバスだったらしい。次のバスを確認すると、1時間は来ないようだ。時間もったいないし、タクシー使うしかないか。新興国のタクシー、大丈夫かな。久しぶりで緊張する。今夜の宿がある旧市街へと向かう。目的地に到着し、そこで小銭を持っていなかったことに気づく。やむなく高額紙幣で支払ったら、「お釣りがない」と言われる。あー、そうだそうだこれだ、忘れてた、こうなるんだった。いやはや旅の感覚が全く鈍っているな。仕方がないので、お釣りはチップとして運転手にあげることにする。しばらく少し心にひっかかっていたが、気を取り直して旅は続く。
旧市街。ターヒエン通りを少し歩き、目的の宿へ到着。今回は、同じドミトリーに3連泊する。1泊4ドルと破格の安さだ。客層は、欧米系バックパッカーが多いようである。早速、周辺を散歩してみる。目についた食堂に座り、まずはフォーをいただく。懐かしい、優しい味。そして、明日の予定を考える。まずは、「陸のハロン湾」と呼ばれているチャンアンへ行ってみたい。ベトナムでツアー代理店といえば、「シンカフェ」が有名だ。12年前のホーチミン旅行でも、シンカフェにはとてもお世話になった。多くの偽シンカフェを見ながら(本当にニセモノが多いのだ)、ホンモノのシンカフェを発見し、申込みを完了。翌朝は7時集合とのこと。
時間が少しあったので、世界遺産タンロン王城をフラフラと見学。石造りの立派な建物は、古く、味わい深いものがあった。石段に座って少し休憩していると、小学生らしき女の子のグループがこちらに近寄ってきた。なんだろうと思っていると、学校の授業の一環らしく、「なぜベトナムに来たの」とか、簡単な英語でインタビューを受けた。しばらく話し相手になっていたら、心は暖かくなった。現地の人とのふれあいは旅の喜びだ。
夜は、ハノイ在住の友人と待ち合わせ。駐在3年目と長く、ベトナム語も使いこなし、現地のお店情報にも詳しい。なので、お店選びはすべて彼に任せて、サイゴンビールで乾杯する。遠い異国の地で、友人と再会する喜び。不思議な感覚がある。現地の人が使う食堂で、酒を飲み、うまい庶民料理に舌鼓を打つ。とりとめもない話はだらだらと続き、ハノイの夜は更けていく。
■チャンアンのせせらぎ
翌朝。マイクロバスに乗って、ツアーがスタート。まず「バイディン寺」を訪れる。巨大な寺門が受付だ。門をくぐり、電気カートに乗る。東南アジア最大級らしい、この仏教寺は敷地が広大。本堂まではこのカートに乗って向かうのだ。建物内は歩く。回廊には多くの仏像が並んでいた。
いよいよ「陸のハロン湾」チャンアンへ。ベトナムの旅のハイライトといえば、最も有名なのは世界遺産ハロン湾の景観である。その海のハロン湾に対して「陸」ということらしい。チャンアンは、ここ最近、世界遺産に登録されて、注目を集めている。自然豊かな山の中に、のんびりと川が流れている。そのほとりにある船着き場から船に乗る。定員5人程度の小舟だ。船頭さんがオールで漕ぎながら、ゆっくりと進む。悠久な川のゆるやかな流れに乗って、ただ前へ進んでいく。高い山並みの谷をかき分けて進むように。なるほど、これがハロン湾を感じさせるのか。自然に囲まれて、静かな空気の中、心は透き通る。途中、洞窟の中に入っていき、暗い空間に包まれる。探検気分だ。ふと、バルセロナで会った旅人が洞窟好きだったことを思い出した。ところどころで天井は低くなっており、身をかがめないと頭をぶつけてしまう。河面が濁っているせいで、その深さのことをあんまり気にしていなかったけれど、これだけ高い山間の谷にある川だから、相当な深さがあったのかもしれない。救命胴衣も装着していたし。
チャンアンは、ハロン湾に比べて、まだまだマイナーな観光地かもしれない。でもきっと、これからその知名度は上がっていくのだろう。素晴らしい場所だ。
■ハロン湾クルーズ
翌日も同様、シンカフェツアーである。正直、ハロン湾については食わず嫌いな気分もあった。でも、前の日にチャンアンを堪能できたし、やっぱり「海のハロン湾」へも行ってみようと思った。
ツアーの集合場所に到着すると、ガイドの女の子が、なんと昨日のツアーと全く同じ。目が合ったときに、「あっ」と互いに笑ってしまった。ツアーバスに乗って船乗り場へ。そこからは、中型の船に乗る。出航すると、すぐにランチタイム。船内のダイニングルームに案内される。同じテーブルで一緒になった日本人の男性2人と話が弾む。前日のチャンアンは、こういう交流がなかったので、旅先で日本語を話せると何だかホッとする。
ガイドさんが紙幣を取り出して、「ここでーす」と紹介する。ハロン湾の景色は、ベトナムの紙幣20万ドン札に印刷されているのだ。奇岩がたくさん並ぶ景観は、写真で見たことはあったけれど、実物を見てみると、それは素晴らしく感じられた。先入観として、海のハロン湾は大したことないだろうと期待値が低かったせいかもしれない(なんでそう思っていたんだっけ)。自分の目で見てみないと、わからないものだ。クルーズの途中では、2人乗りの小型ボートに乗り移り、奇岩に近づくことができる。救命ボートをつけて、スマホを落とさないかドキドキしながらスマホカメラで写真を撮った。洞窟らしきところも見つけた。中に入ると、不思議な形をした岩肌が、ゴツゴツと不規則で美しい暗闇の空間を作り出していた。頭上に目を向ける。穴が空いた箇所からは外光が射し込んでいて、なんだか神々しい感覚を覚えた。その中の1つは、ハート型をした穴になっている。
ツアーが終わり、ハノイの中心部へ向かってバスは国道をゆく。その一本道は、左右にベトナムらしい田園風景が広がっている。あたりに夕暮れが広がり、美しいなと思っていたら、バスが止まった。渋滞しているらしい。と、前をよく見ると、目の前でトラックと乗用車が思い切り衝突した事故現場であった。あらら。しかも一本道を塞ぐようにして車が横たわっており、それが原因で渋滞を引き起こしていた。事故車は動かせないらしく、レッカー車か何かを待っているのだろう。しかし、ベトナム人のたくましさというべきか、事故現場の路肩のわずかなスペースに滑り込み、ゆっくりゆっくりと後続車たちは事故車を追い抜いていく。われらのツアーバスのドライバーも、頑張ってなんとか抜くことができたようである。それもあり、帰りの到着時間はだいぶ押していたようだが、街灯一つない暗闇の田舎の道路で、ほっぽりだされずに、無事出発地へ戻ることができたのは幸運だったのかもしれない。
すっかり夜も更けた旧市街。宿に戻って荷物を置き、夕食を食べる。ターヒエン通りは、今日はお祭りなのかと思うくらい人で溢れていた。
■ホーおじさんとベトナムの旗
4日目の朝は、帰国の日の朝。早朝から、ホーチミン廟へ向かった。ベトナム建国の指導者ホーチミンが眠るお墓だ。驚いたことに、遺体はいまだ冷凍保存されていて、この目で見ることができるのだ。写真はさすがにNGだったけれど、列に並んで見学。歴史に残る偉大な指導者。ホーおじさんと親しまれて、紙幣にも載っている。その遺体を見て、ベトナムの精神の強さを感じた。乗り越えてきた歴史、苦難の時代、そして、いま街中で出会うことができるベトナム人たちの笑顔、笑い声。明るさ、優しさ、そして強さ。ベトナムという国の本当の魅力は、この人々にあるのだろう。外では、衛兵交代式を見学することができた。そこでは、毎朝、ベトナムの国旗が高揚される。その旗が翻る光景を見上げる。祖国に栄光あれと心震えるベトナム人たちがいるのだろうと想像する。この国のこれからの歴史が、ずっと平和であってほしいと思わずにはいられなかった。
■バックパッカーの余熱
数年ぶりにバックパッカーで旅した余韻。それは、まだまだ自分も旅ができるという手応えであった。そして、旅には、相応の年齢があるのかもしれないなんて考えた。20代には20代の旅、30代には30代の旅。沢木耕太郎さんもどこかでそんなことを書いていたような気がする。とはいえ、何歳でもいい。いくつになってもいい。年相応の楽しみ方だってあるはずだ。旅に引退はないはずだ。だから、また旅に出る。そう心に決めて、ハノイを後にした。
【完】