2018年、スリランカの旅
日程:2018年4月27日〜5月4日
■プロローグ
できるなら行ったことのない国に行ってみたい。その思いはいつもある。世界地図を広げて、これまで行ったことのある36カ国を塗りつぶしてみても、地図はまだまだ余白だらけだ。世界は本当に広い。
スリランカに行ってみようと思った。つい最近、大学の後輩がスリランカに行ったという話を聞いた。たまたま聞いた話の1つが、偶然のようでいて縁のようなものに感じることがある。そうやって、これまでいろいろなものを選んできた気がする。スリランカへの旅立ち。
■上海空港にて
中国は上海空港。ここに来るのは、約10年ぶり。とにかく巨大な空港である。成田を発った中国東方航空は、ここ上海でトランジットして、スリランカへと向かうことになる。乗り換えのため、広いターミナルの中を歩き回りながら、次の搭乗ゲートを探す。ふと、上海からの搭乗券がまだ手元になかったことを思い出す。成田では、上海で発券してもらうよう言われていたからだ。
乗り継ぎ口に向かえば、「ここでは発券できない」と言われ、出口に行けば、「ここではない」と言われ、たらいまわしのループにハマりだした。困ったことに、乗り継ぎ時間が1時間と短く、さすがに焦り始める。中国の空港は、意外と英語が通じない。
とにかく一度、外に出て、チケットカウンターを探した。搭乗券を発行してもらおうとすると、「no ticket」という返事。ここで、たらい回しにされた理由が少し分かった。実は満席だったのだ。つまりダブルブッキングというやつで、私の旅人生ではこれまで経験したことはなかった。この21世紀にダブルブッキングなど絶滅していたと思っていたが、とにかく困った。このままでは、スリランカへたどり着くことができない。
次の便に振替になるのか。それにしても中国人スタッフの英語もよく分からない。ふと周りに目をやると、同じようなトラブルに巻き込まれている二人組の日本人旅行者がいた。互いに同じ状況であるらしい。話を聞くと、彼らは1席はあるが、二人がバラバラになってしまうのもイマイチなので、単身の私にその席を譲ってくれるという。私はこの幸運と相手の優しさに感謝して、ありがたく、そのチケットを受け取った。
トラブルと幸運を抱え、これも旅っぽいなぁ、なんて感じながら、私は10分後で離陸する飛行機の搭乗口へ、空港スタッフとともに急いだ。ターミナルの中をスタッフと走らされるなんて、それも初めての経験。
■出会いと始まり
2日目の朝は、体がだるい。初日の移動疲れ、慣れないベッド、目覚めたときの違和感。ホテルのスタッフに聞けば、少し歩いた先にビーチがあるという。目覚めも兼ねて、朝食前の朝散歩に出る。大通り沿いには、トゥクトゥクのドライバーが、客引きをしている。それは、アジア的な旅の感覚を思い出させてくれる。笑顔で「NO」と応えて、異国に来たことを感じる。目の前の海は、エメラルドグリーンに輝いていた。遠い水平線に、船が見える。すぐ近くで地元の男たちが、砂浜に上がっていたボートを海に向かって押していた。「手伝ってくれ」と誘われて、一緒に押す。「乗るか?」と言われて、少なからず興味もあったが、「いいや。ありがとう」と断る。
宿のテラス席に座って朝食をとっていると、隣のテーブルに旅人が着席した。「地球の歩き方」を持っているということは、日本人のはずだ。会話は弾み、なんやかんや話をしているうちに、一緒に車をレンタルすることになった。こんな行き当たりばったりな道連れの旅は面白い。
■古都アヌラーダプラとヴェサックの夜
その旅人Fさんと同行することになった。スリランカは小さな島国のように見えて、その国土は意外と広い。8日間という旅の日数なら、思い切ってドライバー付きの車を貸し切り、移動の足を確保してしまうほうが、効率がいいようである。2人で割り勘した方がリーズナブル、ということで同行することになった。運転手の名前は、スッポンさんという。名前聞いたらサッポーンに近い音だったが、勝手にスッポンと呼ぶことにした。彼の愛車プリウスに乗り、北へ続く道路を走る。真夏の猛暑だったが、プリウスは冷房も十分で、非常に快適な乗り心地だ。
古都アヌラーダプラに到着。世界遺産のひとつである。広大な敷地に散りばめられた遺跡群の数々。想像して、かつての栄華を感じとる。ふと見渡すと、外国人観光客だけでなく、地元の人たちがやたら多い気がした。この日はちょうどスリランカの祝日にあたるらしい。「ヴェサック」というらしい。夜の寺院は、やたらと混んでいて、貴重でありがたいと思う反面、その混雑に少々疲れてしまった。
■シーギリヤロックに登れない
スリランカの世界遺産で最も有名な場所は、シーギリヤロックである。と言われて何なのか知らなくても、この写真をみれば、おお確かにすごい、なんか見たことあるぞ、と唸るはずだ。そして、その頂上にはなんと登ることができるのだ。結論を先に言うと、私は登れなかった。登れなかったのである。旅に後悔が残ることはめったに無いんだけれど、やらかしてしまったことより、やらなかったことは後悔が残るものだ。それは人生と同じだ。ヴェサックというやつの、その煽り(あおり)を受けてしまった。日本で例えれば、お盆や年末年始の新幹線や高速道路と同じ現象である。この日、地元の人たちが殺到していて、大行列ができてしまい、その行列がほとんど進まない。しかも困ったことに、おりからの猛暑で熱中症の危機すら感じ取ってしまった。これは勇退すべし。私の本能はそう叫んだ。やむなく登ることをあきらめる決断をした。いつかスリランカを再訪することがあるならば、次こそは必ず登りたい。それにしても登りたかった。やっぱり後悔している。
■ツリーハウスの夜、シーギリヤナイト
シーギリヤの宿は、ツリーハウスであった。出発前、ツアーの計画を聞いていたとき、我々をワクワクさせていたツリーハウス。だが、その期待は大きく裏切られ、ここで一晩過ごすのか、という大変な代物であった。まぁ面白かったけど。夕食は、町に出て食べよう、とスッポンさんに車をお願いしていたが、約束時間から30分過ぎても迎えに現れない。もうあきらめます?みたいな話をしていた矢先、1時間ほど経過した後、風呂上がりの姿を隠しきれないスッポンさんが現れた。スッポかしやがったなー。
シーギリヤの夜の町は、混んでいた。店を探して、賑わっているように見える食堂を訪れた。こんな夜は、ビールが飲んでみたい。しかし、このヴェサック(しつこく繰り返すと祝祭の日)は、アルコールを飲むことを禁止しているようなのである。ナンテッコタイ。そこで気の利いた愛すべき店員さんが、こっそりと、ティーポットにビールを入れて持ってきてくれた。こんなの初めて。ありがたいなぁ。観光客がサインをしている天井に、我々もサインさせていただき、こうして楽しいシーギリヤナイトは更けていったのであった。
■バワのホテルで朝食を
ジェフリー・バワは、スリランカが産んだ建築家だ。その建築を見れば、不思議なデザインに圧倒されてしまう。私がバワの存在を知ったのは、スリランカに行く前ではなく、このホテルを訪れてたときである。「ヘリタンス・ガンダラマ」というホテルがある。
ヘリタンス・カンダラマで朝食を。これが、この無目的なツアーの中の数少ない目的の一つであった。このホテル、いつかは泊まってみたいと思った。自然の景観の中に、ホテルがある。共生している。そして、おそらく、これから長い年月をかけて、このホテルは自然の中に調和していくのだと思う。成長するホテルなのだ(もしくは原始への退化かもしれない)。そんなことを考えた。我々は、今日のランチはもう食べなくてもいいくらい、約3.5食分のビュフェを胃の中にいれていた。スリランカの地元メシもうまいけど、このホテルのテラス席で食べる、高級感あふれる朝食は、世界最高の朝食だ。
■紅茶列車に乗って
スリランカのイメージといえば「紅茶」かもしれない。(ついでに余談ながら、スリランカといえば「鉛筆」というおぼろげな記憶がある。小学校で学んだんだろうか)。あの大英帝国(紅茶帝国だ)の影響もあって、スリランカは、世界屈指の紅茶の葉っぱの一大産地だ。我々は、キャンディという町から、ヌワラエリヤという高原地帯へ向かって電車に乗って向かう。途中から紅茶畑の景観が広がり、その山肌を縫っていく列車は、別名で「紅茶列車」という。「紅茶列車」、英語で「tea train」、どちらも語感が心地よい。観光客に人気の列車なのだ。乗車駅の窓口で、チケットを購入しようとしたら、「指定席は満席だ」と言われてしまい(ナンテコッタイ)、2等列車の自由席のチケットで行くことになった。
車内は、観光客だらけの満席状態。なんとか1席だけ確保できたので、Fさんと交代しながら座ることにした。いかんせん5時間の列車旅なのである。その苦労はありつつも、我々は、何日間も車の中で揺られっぱなしだったこともあって、電車に揺られることに新鮮さを感じていた。最初の20分間くらいは。その新鮮さに慣れしまうと、景色は大した変化もなく単調で、まだまだ紅茶畑などは見えず(終盤の方なのだ)、座りたいなぁーと愚痴をこぼす列車旅となっていた。
長い旅も終わり、ヌワラエリヤ駅に到着。出口では、我らの運転手スッポンさんが、車で先回りしていて、出迎えてくれた。合流し、ヌワラエリヤの中心部へ向かう。ここは、高原地帯であり、英国人の避暑地であり、熱帯スリランカのイメージとはかけ離れた、上着が必要なくらいの肌寒いエリアであった。紅茶工場を見学し、スッポンさんイチオシの「シルバーチップ」という紅茶を購入する。1箱100ドルという価格を、頭の中の換算で、なぜか「1000円」と勘違いし(疲れか)、会計の段階で、「あ、1万円か!」と気づいたときに少なからず動揺。新興国の旅はときに驚く。そうか、スリランカの高級紅茶は1万円もするのか。観光客だけでなく、これを買えるスリランカ人もいるのだろう。世界は、アジアは、成長しているのだ。
■最果ての街へ
スリランカの旅は、終わろうとしている。我々の予定では、このヌワラエリヤから、出発地のニゴンボへ戻ることになっていた。しかし、スリランカの南端には、ゴールという名前の町がある(goalじゃなくてgalle)。ここに行ってみたくなった。もともとの予定から1日伸びることになるので、旅行代理店であるニゴンボの宿に連絡して、追加料金を交渉し、スッポンさんの予定も確認してもらって、なんやかんやで、延長することになった。
ゴールという町の名の響きが、旅の終わりにはちょうどいい。海に突き出したこの街は、インド洋を行き交うさまざまな国や船の交易拠点だったのだろう。旧市街地には砦の跡が残る。その岸壁に座って、目の前の大海を眺望すれば、遠い遠い異国の地へ思いを馳せることができる。この港町から海を眺めているとき、私は、かつて訪れたポルトガルにあるサグレス岬を思い出した。サグレス岬は、ユーラシア大陸の西端の最果ての地である。スリランカ島とは規模が違うけれど、その最果ての感覚は重なる。
「ここに陸が終わり、海が始まる」
旅という非日常が終わり、その先には日常が待っている。日常と非日常の境目は、いつだって曖昧でぼんやりしている。その先にある日常に還ろう。
■旅の余韻
8日間の旅を終え、日本へ帰国する。長い旅でも短い旅でも、私は、この帰国という時間がけっこう好きである。空港へ向かう車の中、飛行機の中の時間、ときにはトランジット空港での無駄に長い待機時間、そこにある「さぁ、帰ろう」という時間が好きである。旅立つことが好きなくせに、帰ることも好きなのである。帰ることが好きというなら、私には帰る場所が必要なのかもしれない。それは、日本という国であり、私にとっては横浜というまちであり、そして住み慣れた我が家なのだ。日常と非日常、旅先と我が家という境界が、ぼんやりといったりきたりしている。そのふわふわした気持ちの中で、自分はその位置を確かめる。たぶん、私には旅先と我が家の両方が必要なのだろう。
■エピローグのあとのエピローグ
海外の旅先で出会った人たちと、帰国後に、日本で再会することがある。これは私にとって、最高に贅沢で幸せな瞬間である。再会すれば、あのときの旅の記憶が舞い戻る。ただただ旅の思い出を語り合う。旅人たちは、これまでの旅を語り、これからの旅を語る。それが、自分の旅心に火を灯す。心に引火して再び燃え上がる。焚き火に薪をくべるように。
F さんは関西方面に住んでいて、気軽に会える距離ではないが、互いに仕事や帰省でたまたまタイミングが合って、再会することができた。旅の仲間との付かず離れずな距離感は心地いい。そして、次はどこへ行こうか、そんなことを夢想するのである。
【完】