2007年、マカオの旅
旅程:2007年2月
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マカオのカジノで一攫千金。そんな野望を掲げて、まずは香港へと向かった。大学卒業を控えた春休み、ホッケー部仲間の男5人の卒業旅行だ。とはいっても、そのうち二人は留年が確定しており、卒業はしない。
世界一のカジノといえば、ラスベガスだという印象がある。カジノな卒業旅行だったら、アメリカの西部で広がる広大な大地。そこには分厚いアメリカンなステーキがある。ルート66をデカくて燃費の悪そうなアメ車でどこまでも駆け抜ける。カウボーイたちが集まってそうなバーで、テキーラをぐっと飲む。西部のバーのドアは、パタパタ両開きのはずだ。想像妄想たっぷりのアメリカすべてを感じたい。
そんなイメージを仲間たちで話していたが、時間と渡航費を考えると、アメリカは遠く、そして費用も高い。現実の壁が立ちはだかる。アメリカンドリームのスタート地点に立つことも、ままならない。
新聞か雑誌かガイドブックか、はたまたネット情報だったか、世界一のカジノはラスベガスではなく、マカオである、という情報が入った。驚いた。いつのまにか中国の経済成長と中国人たちの欲望は、分かりやすくカジノ都市マカオを世界一の座に押し上げていたのだ。
我々はアメリカという選択を捨てて、香港経由マカオへと向かった。香港からマカオへと向かう高速船に乗りながら、香港へ戻るときは、勝った金でヘリコプターをまるごとチャーターするという野望を掲げた。
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いろいろ妄想してカジノに挑戦したわりには、大勝ちもなく、我が身が破産するようなこともなく、淡々と終わったような気がする。カジノをしていた記憶が薄いのが正直な感想だ。
カジノにどっぷり浸かることもなく、日中は街を歩く。路上の理髪店っぽいところを見つけ、仲間の一人に髪を切ったら面白そうとプッシュするものの、本気で嫌がり実現できず。2年ほど前に世界遺産に登録されたマカオという場所は、歴史のとおり、ポルトガルの匂いがする。つい先週、ポルトガルから帰ってきたばかりの自分には、デジャブのようにダブって感じられた。マカオとポルトガルは繋がっている。
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マカオを訪れたのが2007年。今このコラムを書いているのが2024年。その間、マカオも大きく変貌しているはずだ。アジアは変化して成長している。自分の頭の中も更新していかなきゃなと思う。思いこみで固まらないように。ネットで飛び込んでくる情報は、マカオがまた大きく変化していることを教えてくれる。いつかまた再び訪れて、自分の目で見て、自分の肌で感じてみたい。
【完】