【2024.01.19】vol.126 余白時間

日々折々

【2024.01.19】vol.126 余白時間

子どもがスマホを持つことについて、課題が本格化してきた今だ。いずれは必要になるだろうと、子どもが生まれたときから、ずっと考えていた課題ではある。そして小5になり、まだ早いのか、もう適齢期なのかという段階だ。スマホの無限の便利さとか可能性とか、仲間との連絡ツールとか、メリットは多くあることは知っている。一方で、自分が引っかかっているのは、依存症を生む毒にもなりうるという一点なんだろう。そろそろ決断すべきとき、ルビコン川を渡るときなのかもと思い始めている。考えても結局、やってみなきゃ分からないということに行き着く。自分の固定観念を更新して、時流に乗っかってしまうのも1つの選択かも。

何も特別なことがなかった気がする休日を、ムダだったと感じてしまうことがある。何かしているはずなのに、今日は何やったっけと思い、何も浮かばないようなときだ。何もない休日のことを、余白時間って名付けてみる。水墨画には、余白が大切な意味があるように、人生の余白にも、案外役割があるのかもしれない。せわしく動く日常に、たまに訪れる、止まったような時間、何もしない時間、何もしなくてもいい時間。それはそれでいい。

1月15日が結婚記念日。2012年に結婚して、13年目になった。思ってたよりも長く続いている。それなりに上手く回っているのだろう。

モーニングページに使っているノートが、また1冊終わりになった。80枚で160ページのノートを、1日1ページ。それを週4日くらいのペースで書いているから、約40週間で1冊。9〜10ヶ月程度ということになる。このノートを使い始めたのが、2024年4月8日だった。ちょうど娘の入学式の日だ。仕事も2年目になり、変化しているタイミングだ。読み返してみて、大したことないことで悩んでいる自分がいる。あんまり成長していない気もする。それでも、あの頃とは確実に良くなっているような気もする。それは天気のように移ろいゆく気分のようなもの。

久しぶりに、東海道散歩の旅に出た。藤沢から平塚まで13キロほど。カリッカリカレーパンや平塚タンメンなど、美味しいものに出会う偶然もあった。歩くことが自分でバカバカしく思ったり、自分は一体何やってんだろうとか、ムダだとか、意味ないとか、そういうことを思う時間もある。すべてが楽しいわけじゃないけれど、これでいい。これが自分の旅。

今の家に引っ越してから、ちょうど1年だ。10年使ったテレビが新しくなった。テレビ周りの棚とかも刷新したり、クッションマットを変えたり、住環境の快適化を進めていこう。