【2024.10.27】vol.113 息が詰まるようなこの場所で
子どもたちの小学校の運動会があった土曜日。競技や演技に取り組む姿を見て、毎日の学校生活をしっかり送っていることを実感し、成長している我が子の姿があった。クラスメイトと和気あいあいとしている様子が自分には嬉しい。なんかやんや運動会の雰囲気っていいものだと改めて思った。
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運動会のあとに、片付け手伝いボランティアに参加。いろんな機会で参加を続けていたら、徐々に顔と名前も覚えてもらえるようになってきたみたいだ。パパ友のつながりの場に誘ってもらって、少し驚いて、また一つ世界が広がりそうな気もしている。ゆるやかな人のつながりから、地域活動に根を張れば、面倒さよりも、わくわくする感じがある。
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日本シリーズが始まり、ベイスターズにさらに夢中になっている自分がいる。好きなチーム、好きなスポーツ、熱戦、そういったものが毎日を楽しくさせる。小学校の頃、昼休みに学校のテレビで日本シリーズを観たような記憶がふと蘇る。あれは何だったっけ。
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自分用にバスケットボールを新しく購入して、幼い頃のワクワクした気分になった。それを持って、ミニバス練習に参加。始めは遠慮していたけれど、ボールを取り出して、自分でドリブルしたり、動いてみたら、楽しくて充実した時間になった。ためらわずに動いたその1歩で、息がつまるこの世界とその時間を変えることができる。
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小5の息子と初めてのBリーグ観戦。とどろきアリーナで、ビー・コルセアーズとブレイブサンダースの試合。今まで連れていった野球やサッカーの観戦はまったく空振りだったのに、こんなに試合に夢中になっている息子の姿は初めてで、父として嬉しく思った。試合も延長に突入するほど白熱してナイスゲームだった。夜な夜な帰り道に豚骨ラーメンを一緒に食べた。こういう親子の時間が、思い出に変わり、いつかの記憶になるのだろう。大切にしていきたいものだと思った。
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仕事の悩み事や不安が自分の中で膨らみ、家に帰っても付いてくる。ささいなことで自分が押しつぶされそうだ。膨らんだものは、ただの空っぽの泡みたいなもので、バブルのようにポンといつかはじける。このもやもやにもタイムリミットがあり、いつか消えてしまうことに自分でちゃんと気づいている。
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息子が学校のプリントを持って帰るのを忘れて、妻がそれにプリプリと怒っていた。息子にもどこか抜けているところがあって、本人はあんまり危機感もなく、マイペースだ。それは短所のようで、動じないメンタルの強さでもあるような気もする。親が子にイライラするのは、自分のため?子どものため?どっちだ?どっちもだろうけれど、めぐりめぐって、それは「子ども自身の課題」なのかもしれない。課題の分離という考え方を思い出した。親としての役割は、子ども自身の自立を支えること。
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モヤついていた必要物品希望調査が、自分で調べてボスに相談して、ようやくやるべきことがクリアになって、前に進みはじめた。もやもやが一瞬で吹き飛んだ。風向きはいきなり変わることもあるという言葉を改めて噛み締めた水曜日。重圧や重荷から解放されて、心は軽くなった。
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小説「息が詰まるようなこの場所で」を読了。タワマン文学と呼ばれるジャンル。40代で共働きの子育て世代の自分には、状況がリアルに重なり、共感する部分も多くあった。他者と比較してしまうこと、忙しい毎日に追われていること、幸せってなんだっけとか、他に道はあったんじゃないかとか、ふと思う瞬間のこと。息が詰まる毎日でも、ふと息抜きする瞬間が訪れることもある。生きることは、息苦しくて、ままならなくて、それでも暮らしを続けて繰り返して、時間が流れて、次のステップへと自動で進んでいる。男女の考え方の違いや、夫婦コミュニケーションの掛け違いもある。年収、資産、地位、学歴、タワマンの居住階層、、、上を見ればキリがなく、下を見てもキリがない。「人と比較しないこと」という価値観は自分の中で大切にしていきたい。