【2025.11.16】vol.169 旅の余韻
鹿児島を旅して、還ってきた。知覧にある特攻会館を訪れてみたかった。予想していたほど、心が乱されたり気が重くなったり、とまではいかなかったけれど、遠いこの地まで来るだけの意義は感じることができた。現地には、「この場所」というリアルさがある。手紙や遺品の夥しい数に圧倒される。覚悟、感謝、後悔、気遣い、心残り、、、何といえばいいのだろう。言葉に上手に変換されない感情はこのままでいいし、簡単な結論に至らなくてもいいと思う。感じたものは忘れずに憶えておきたい。時間をかけて、自分の中でじっくり熟成したい。
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鹿児島の夜の屋台村で、素晴らしい人たちと出会い、酒を飲み交わすことができて、本当によかった。その旅の余韻がいまだに残ってくれている。面倒ささえ笑い飛ばして、すべて受け流してきた。無責任で、一時的な自分は、流れる時の旅人だった。執着なんかなくて、ただ水のように流れる自分が心地いい。
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職場がまた何かギスギスしていて、人間関係も居心地よくないな。風向きが変わってきていて、風当たりが強くなった。調子がわるい。考えすぎかもしれない。自分は慢心になってやしないかと反省してみる。初心に還って、謙虚になる。雑になってしまっているものを丁寧にしてみる。影響の輪の範囲で、信頼残高を増やしていこう。まず自分自身が誠実に仕事しよう。ダメなことばかりで、折れそうになるけれど、風向きはいきなり変わることもある。
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週末に、子どもと家で過ごして、何かをしたわけでもない時間に、物足りなさを感じることがある。ただなんだか疲れだけが残ってしまったような後味。でも、それは今しかできないことで、実はものすごく幸せなことかもしれない。いつの日か、子どもも近くから遠くへいってしまって、自分はそのときに淋しさを感じるのだろうか。想像してもピンとこない。あれをやっておけばよかったと思うことがあるかもしれない。それを今ならできる。

