2001韓国

2001年、韓国の旅

旅程:2001年9月4〜7日

■長い長い旅人生の始まり

2001年の夏、私は韓国を訪れた。それは人生で初めての海外旅行で、私は18歳だった。

この2001年の夏というのは、大学から逃げて人生を彷徨っていた夏であり、アルバイトを始めた映画館では「千と千尋の神隠し」が大ヒットしていた夏であり、あの「9.11」の直前の夏でもあった。帰国したのが9月7日だったから、もし日程が少しずれていたら、旅そのものも多分なくなっていたのだろう。

初めての海外は、1人旅だった。特段の理由もないが、ただ何となく友人と日程調整するのが面倒だっただけなのかもしれない。躊躇せず、ひとりで果敢に海外へと出て行く自分は、我ながら大したもんだと思ったりする。旅好きの両親から授かったDNAのおかげかもしれない。両親に感謝だ。

玄関口である仁川(インチョン)空港。ハングル文字で書かれた案内板を見たとき、ここはもう日本ではないんだな、と当たり前のことを当たり前に実感した。海外への第一歩であり、第一印象だった。

■板門店

私が旅先に韓国を選んだのは、「板門店(はんもんてん)」に行ってみたいと思ったからだ。その場所を知ったのは、映画「JSA」を観たのがきっかけである。「板門店」とは、ソウル北部に位置しており、北朝鮮との軍事境界線を挟み対峙する最前線の場所だ。

この『板門店ツアー』は、きっと貴方の韓国旅行の中で、一番印象深い思い出になるでしょう”

ツアーバスの中で、ガイドはそう語った。韓国の旅行会社だったが、バスの乗客は全員日本人であり、韓国人ガイドも日本語で話していた。

地図で朝鮮半島を眺めると、そこには「韓国」と「北朝鮮」という2つの国家が存在する。1950年、半島全域を巻き込んだ朝鮮戦争が起こった。結果的には決着がつかず、現在に至っている。韓国と北朝鮮は「講和」したわけではなく、「休戦」という形で条約を結んでいる。つまり、平和そうに見えても、この国は「準戦時体制」なのだ。そのため、この軍事境界線はいまだ緊張の様相を帯びている。

そんな場所を訪れるのが、この「板門店ツアー」だ。バスが板門店に到着する前に、車内では1枚の紙が配布された。そこには、『もし予期せぬ事態が起きて、命を落としても、国連軍・合衆国政府および韓国政府は責任を負わない』という物々しい内容が書かれており、承認のサインをしなければならない。国際関係の現実を実感する。バスは国連軍キャンプへと到着した。

これは、国連軍キャンプから板門店その場所へ行くために乗る専用のバスだ。

ちょうど軍事境界線上である「共同警備区域」。ミニサイズの青い体育館のような建物が境界線上をまたぐ形で置かれている。右奥に見える二階建ての建物は、北朝鮮側の建物である。3つほど見える青色の建物は、韓国と北朝鮮が会談を行う場所として使われている。今回のツアーではこの建物の中に入ることができた。

「命を落とす可能性がある」というぐらいだから、個人行動は許されず、全て団体行動である。写真だと分かりづらいが、実際に建物の方へ近づくと、警備している韓国兵のそばを通る。彼らは任務中であるので、触ったり話しかけたり笑わせたりしてはいけない。事前にそんな説明があった。実際に来てみると、緊張感があって、ただ萎縮してしまう。境界の向こう側は北朝鮮の領域ということになる。北朝鮮側の兵士も見える。手を振ったり威嚇したりしてはいけない。下手すると撃たれるかもしれない。それぐらいシビアな場所なのだ。

この境界線は正確にいうと「国境」ではなく「休戦ライン」ということで、互いに線を超えてはいけないことになっている。しかし、この線をまたいでいる建物内は、自由に動くことができ、わずかな範囲だが、北朝鮮に足を踏み入れた、ということになる。

かつて、ソ連兵が北側から、「助けてくれー!」と叫びながらこっちへ向かって走ってきて境界線を越え、銃撃戦が起こったこともある、という話を聞いた。

「板門店ツアー」は、有意義な体験となった。「半島の現実」というものをまさに肌で感じることが出来る。出発前に「予期せぬことでツアー催行が中止になる可能性がある」と聞かされていたが、今回は無事訪問することができ、かつ無事帰ってくることができた。緊張感ある場所だが、それだけより一層行く価値があると私は思う。韓国へ行った際にはぜひ訪れてみることをお勧めしたい。数十年経って国際情勢が変われば、観光地という性格も変わるかもしれない。

■天安・独立記念館へ

板門店以外にも、行ってみたいと思った場所が、「独立記念館」だ。ソウルから電車に乗り、郊外へ向かう。

たどり着いた場所は、非常に広大な広場があって、韓国の国旗が多くはためいていた。この広場で式典などもやるのだろうかと想像した。建物は大きく、博物館としての展示は非常にボリュームがある。韓国側から見た独立の歴史というものを素直に感じてみたかった。

展示をひと通り見て、外へ出た。濃厚な展示を見たせいか、頭の中がいっぱいになった。夏の空が広がっていた。自動販売機でコーラを買って飲む。外国の自販機は、見慣れてなくて何だか面白い。青い空に、はためく国旗。それぞれの国に、それぞれの歴史という物語がある、と思った。政治や国家のレベルのことはよくわからないけれど、少なくとも人と人という草の根レベルでは、日韓の友好が進んでいけばいいと思っている。

■焼肉をたべる

1人旅というスタイルが好きだ。自分の行きたい場所へ行き、疲れたら休み、物思いに耽け、何に束縛されることなく、ただただ「非日常」という時間を味わう贅沢な時間だ。1人で旅をしていると、別の一人旅をしてる人と出会いやすいというのも素晴らしい。誰かといるとなかなか話しかけづらかったり話しかけられづらかったりするものだが、お互い1人同士だとすぐに分かち合えるのである。自分の世界が広がりやすい。

一人旅で困ることは、たとえば泊まる場所。ユースホステルだったりバックパッカーズといったドミトリー(8人とかで相部屋するタイプ)があれば問題ないが、普通のホテルをツインルームを1人で使うと割高になる。あとは、たとえば食事。1人だとなかなか店に入りづらい。どんな店に入るかにもよるが、きっと世の中のお店って1人向けに対応していないような気がする。まぁドカドカ入ればいいんだけれど、けっこう迷ったりためらったりもして、結局スーパーで「パン」とかひもじくもなったりする。

さて、明日で帰国という韓国最後の夜。一つの衝動が私を襲った。焼肉食べたい。一人で焼肉か。迷う。いやしかし。韓国まで来て、焼肉を食べずに帰るのか。いく!1人でも行く!おー、キムチが10種類くらい小皿でついてくるのか!へー、店員さんがハサミで肉をチョキチョキ切ってくれるんだ!ほー、タレをつけずにそのまま食べるのか!おいしいなー!一人焼肉最高!!(結局満足)

■旅のあとがき

旅立ちの1ヶ月ほど前に、バイト先の仲間から、韓国に行ってきたという話を聞いたことは、自分を動かすきっかけになったのかもしれない。身近な人から影響されることは多々ある。旅に関しては特にそうだ。今ふりかえれば、18歳という年齢で海外に踏み出したことや、渡航先に韓国を選んだことなど、ベストな選択だったと気がしている。人は旅立つべきときに旅立つ。私の旅人生は、ここから始まったのだ。

旅の準備の記憶が、なかなか鮮明に残っている。山下公園近くにあるパスポートセンターで初めてのパスポートを作ったこと。センター南の旅行代理店で、パッケージツアーを申し込んだこと。町田のヨドバシカメラでデジタルカメラを初めて買ったこと。充電するための電源プラグの形は、日本と外国では異なることを知ったこと。「地球の歩き方」の表紙デザインがあんまりしっくりこなくて、他社のガイドブックを選んだこと。

国際空港にある「税関」というものが何なのかがよくわからず、自分の持ち物にも関税かかるのかなとか本気で心配してドキドキしていた。もう今は慣れてしまったけれど、当時のあの感覚はやっぱりとても新鮮だ。アシアナ航空の機体の色や、機内食にビビンバが出たこと、韓国の空港のロッテリアでプルコギバーガーを見つけたことなど、見るものひとつひとつに驚きや興奮があって、なにもかもが面白かった。あとにも先にもこの感性フル回転はなかっただろう。そういう感覚は、旅慣れていくと、少しずつ失われていくものでもあるらしい。20年以上経って、当時を振り返ると、そんなことを考えている。

海外での初めての夜、ホテルに到着してから、夕食を探しに街に向かった。タクシーに乗るのがなんか怖くて、山の上にあったホテルから坂道を下って歩いた。一人きりで、見知らぬ土地で、どの食堂に入ればいいのかもよく分からなかったけど、直感で入った食堂で食べたのはキムチチャーハンだった。韓国人の若い店員さんと身振り手振りで意思疎通して、注文することができた。お互いに笑顔だった。ただそれだけで楽しかった。そしてキムチチャーハンはとても美味しかった。それが初めての海外の初日の夜の記憶だ。

旅の始まりがここ韓国でよかった。そして長い長い旅人生は、ここから始まったのだ。

【完】