【2025.04.06】vol.137 年度の終わり、年度の始まり

日々折々

【2025.04.06】vol.137 年度の終わり、年度の始まり

毎朝のモーニングページを書く余裕がないほど、慌ただしくて濃密な時間が過ぎていった一週間だった。職場では、年度が終わり、年度が始まった。いつもなら想うことは多々あって、ノートに書き出しおきたいと思っていたが、センチメンタルにふける暇もなく、こうして日曜日の朝にいる。

ふりかえってみる。

3月31日は、月曜日で年度末の最終日で、150人待ちという数字を初めて見た。感覚がマヒして、窓口をさばいてもさばいても、その数字がまったく減る気がしない。ただ嵐の中にいた。ボスや同僚が最終日であることに、ひとつの区切りであることに、そのことに物思いにふける余裕もなかった。今、こうして、思い出せば、2年前に着任したばかりの頃の出会いだとか、受けた指導とか、支えられたことに、感謝の気持ちはあふれている。大変なことも多かった2年間だけれど、その出会いに恵まれて、仕事を乗り越えてこられたのだ。最後にそう思えることは、そういう後味が残ることは、とても大切で、とても幸せなことだ。自分も、1年後はそうありたい。

寝不足が続いた一週間。

4月1日から3年目が始まり、今年度が異動ならば、この職場で過ごす、最後の1年間ということになる。新しいボスも着任。前任と比べてもしかたがない。ただ、今後一緒にやっていけそうなボスでよかったというのが第一印象。それもありがたいことだ。新しい同僚や新人もやってきて、ガラッと新しい体制がはじまった。窓口混雑と人手不足に揉まれて、さまざまなことが新年度による切り替えがあって、自分もまた混乱に飲み込まれて、ただ1つ1つをこなしていく。「1年間の中で、最も不安定な日」が4月1日だ。その1日はどうにも乗り越えた。それだけで90点の自分だ。

家に帰る時間が24時の日々が続き、家庭が疎かになり、妻に任せる他なく、息子は胃腸炎で体調不良になってしまい、自分は自分で睡眠不足とエネルギー不足で、バランスが乱れている最近だ。

どんなに不安定でも、徐々に慣れていくことも知っている。4月1日よりも、4月2日は不安定なことが少し減っていることは確かだ。3日、4日と徐々に自分は環境の変化に確かに適応している手応えがある。4月1日から大丈夫だろうか?と思っていた3月31日の自分が確かにいた。そんな不安さえどうでもよくなるほど、夢中で走ってきた4月1日からの4日間で、なんとかなったり、なんとかならなかったりしながらも、必ず金曜日の17時にチャイムは鳴って、一週間に区切りをつけてくれる。時間は必ず味方になってくれる。ヒーローみたいに。

タイ人の転入手続きに付き添った年配のおじさんが、最後に「君は仕事ができるね」と声をかけてくれたことが印象に残っている。手前味噌だけれど、その言葉に確かに救われた自分がいた。この忙しい日々が少し報われた気がした。それはメモとして残しておきたい。記憶の片隅にも置いておきたい。

土曜日、娘とドラえもんの映画「絵世界物語」を観に行った。映画館で買うポップコーンなんて初めてだったかもしれない。その特別な経験は娘と共有できて良かった。上手な絵が、良い絵というわけではない。その言葉が印象に残る。絵も、音楽も、文章も同じだ。作り手の思いが込められていて、それが誰かに伝わることが、本当に大切なことなのだと思った。

ジョギングしながらBUMPのラジオを聞いて、「Hello,world!」が流れてきた。『もう駄目って思ってから わりと何だかやれている 死にきらないくらいに丈夫 何かちょっと恥ずかしい やるべきことは 忘れていても解る』。その歌詞が今の自分に響いている。

来週からも慌ただしい日々は始まって、過ぎていって、いつかは必ず終わっていく。それをただ夢中で繰り替えていく。