【2024.05.12】vol.89 KANO 1931

日々折々

【2024.05.12】vol.89 KANO 1931

映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」を観た。友人からオススメされた映画。台湾の弱小チームが、甲子園を勝ち進むというストーリー。いい映画だと思った。高校野球という青春、昔から変わらない甲子園の熱、そして、台湾の風景と人々。壁にぶつかっても、乗り越えていくこと。監督のセリフ「彼らは、民族である前に、野球選手である」が印象に残る。八田與一の本も読みたいと思った。

漫画「ここは今から倫理です。」を読んでいる。高校生たちの境遇、教師の生きざま、生徒との接し方、いろいろごちゃ混ぜになって、自分の感情を掻き立てる漫画だ。ふと高校倫理の内容って何だっけと思い、教科書を読み返したくなった。

もう会えなくなってしまった人たちのことをふと思い出す。いつの間にか自分の人生から消え去ってしまった人たちがいる。そうなってしまったのは、自分のミスだったのか。もしくは、自分の力や選択とは関係なしに、偶然とか天命みたいなものが、人と人との間には作用しているのだろうか。たとえば、死んでしまえば、もう二度と会えなくなる。相手も自分も、いつかはこの世を去ることになる。それなら、音信不通になってしまうこともまた、死の別れと似たようなものだろうか。そこに大きな違いはないような気もしている。生きてさえいれば、また会えるかもしれないという期待がある。なくしてしまったつながりが、たまに記憶の中から蘇って、ロウソクの灯火みたいにゆらゆらと揺れている。

思ったことを紙に書き出してみることを「ジャーナリング」というらしい。その言葉に初めて出逢った。朝書いているモーニングノートもその一種だったんだな、と知った。

10年後になっていたい自分の姿。どんな年齢になっても、素直に人に教えを乞う。フィードバックを素直に受け止める。何事にも積極的に心を開く。50代になっても変わらずにありたい。

子どもにイラついて、大きな声を出してしまい、翌朝反省している自分がいた。同じようなことを何度も繰り返している気がする。高潔な人格には程遠い。