【2023.08.27】vol.52 テート美術館展「光」

日々折々

【2023.08.27】vol.52 テート美術館展「光」

20歳のときのボランティア仲間で集まって飲んだ。今年でちょうど20周年になる。出会ってから20年という月日が横たわっている。結婚、子育て、仕事、転職、いろいろあって、それぞれがそれぞれの時間を過ごしていた。中身は変わっていない気もするし、時の流れも感じる。日々は続いていて、過ぎた日のことは忘れてしまう。帰り道に聴いた「1999年、夏、沖縄」のメロディが妙に心地よかった。

非常用の貯蓄食料の賞味期限をチェック。保存5年のアルファ米の消費期限が到来していた。5年前に買ったときは、脱サラして学生に戻った頃だったなと思い出す。ここにも5年の歳月が流れているのだ。やっぱり時間は流れている。

仕事を辞めることの選択。昔の仲間と話しながら、5年前のあの頃、周囲に自分をブロックする人があんまりいなかったような気がした。相談する相手を選んだだけなのか、ただ自分が聴く耳を塞いでいただけなのか、あんまり思い出せない。いずれにせよ、自分には自分の選択があって、選んできた道のりがある。不器用な自分のまま、なんとか自分で自分を肯定していく。まだまだ続く道なき道を行く。

職場で、隣の島の他部署の人と初めて話をした。ドキドキして緊張して少しビビっていた。普段の自分が狭い世界で働いていることを実感する。話すことで、少し視野が広がったような気がした。そういう感じで、吸収してまた学んでいこう。自分の心はまだ新鮮で開かれているはずだ。

連絡の返信が途絶えてしまった友人がいる。続くものと失くしてしまったもの。人とのつながりは、記憶の中に鮮明に残っていて、焼き付いている。「365日」のイントロが頭の中の奥深い底の方から湧き出ててきた。

職場の同僚から注意を受けて、叱られてしまった。そのことを素直に反省している。自分の中で曖昧にした仕事だったという自覚がある。自分で自分の不完全な仕事に腹が立つような、へこむような、自信をなくすような、そんな引っかかりみたいなものが、しこりみたいなものが、自分の中で傷となっている。自分のやるべきことをやっていない、それは「自己への裏切り」だ。40歳になっても叱ってもらえること。そういう経験や機会や場面は大切にしておきたい。

次の春に人事異動があって、また人が入れ替われば仕事も大変になるなと想像したあと、その頃には娘も保育園を卒園して、保育園の送り迎えがなくなっていることに気づく。仕事も家庭も変化していく。心配事や悩みは消えて、また生まれたりする。そういうことを繰り返している。

前野ウルド浩太郎著「バッタを倒しにアフリカへ」という本が、意外と面白い。著者の生き様や熱量に驚く。文章の書き方にも魅力がある。

小4の息子の4日間のサマーキャンプが終わり、家に帰ってくる。ブログを通じて、楽しんでいる状況が伝わってくる。4日間もあっという間で早いなと感じる。子どもの経験を1つまた1つ増やしていく。それは親としての役割だ。帰ってきたら息子から話を聞こう。

映画「レインマン」を観た。自閉症というものを知って、考える機会にもなった。相手をよく知れば、個性や得意なものを見つけるのかもしれない。旅の場面、兄弟の絆、人と人が少しずつ分かりあって、心が交流して近づく。観終わったあとの後味もなんだか優しくて温かい映画だった。

国立新美術館で開催中「テート美術館展 光」を訪れた。光をテーマにした美術展。光をとらえること、光を表現すること。さまざまなアーティストが光をその目で見て、さまざまな形で表現を試みてきたのだろう。一番印象に残ったのは、ジョン・ブレットが描いた海の絵画だ。「ドーセットシャーの崖から見えるイギリス海峡」という作品。青い空、広がる海、降り注ぐ光とその反射。大きな絵画を目の前にして、自分もそこに吸い込まれた。