【2023.05.14】vol.37 雨はいつの間にか上がっていた

日々折々

【2023.05.14】vol.37 雨はいつの間にか上がっていた

台北で美味しいものをたくさん食べた。たくさん歩いた。そして、無事帰ってくることができた。また一つ強くなれた。小さな光、大きな一歩だ。

夢の中での記憶。頭の上からタケノコみたいな角が生えていて、それを抜いたらスッキリした。鬼の角か、なにかの病か。気持ち悪い感じもあるし、スッキリした感じもある。

「仕事で空回っている」と言っていた友人に、「そんな姿もいい」と肯定して伝えてみたら、少しだけ心に届いたかもしれない。表面的で口先だけのようで、Anyの歌詞のようで、でも、相手が救われた気分になるのならば、それもまたひとつの真実だ。

職場で、ある人が、そこにいない人のことを話している。もしかしたら自分のことも話しているような気もする。良くも、悪くも、そうやってイメージや評判は作られる。そんなのもう気にしたって仕方ないな。そういう気持ちに到達できることは、この年齢ゆえかもしれない。年齢と経験を重ねてきて良かったなとふと思う。

職場の電話に初めて出てみた。普通に対応できている自分がいた。大きくて小さな前進だ。慣れないのは最初だけだ。そのうち軌道に乗るだろう。誰でもできることだし、それは自分にもできることだ。特別な力はいらない。そう決め込んでいこう。

心はオープンになっているだろうか。いろんなものを受けているだろうか。気に食わないと感じる心は、ただの抵抗かもしれない。

4年前の教育実習の帰り道。ウルフルズ「笑えれば」を聴いた帰り道。一人でぽつんと待つ会議室。安全な場所に座っていた自分。今の自分とよく似ている。そこから少しだけ外に出てみよう。

50代で転職して真新しい仕事を始めた父は、うまくいっていなかったようにも見えた。何に失敗したのだろう?いや、失敗だったかどうかすらも今ではもう分からない。具体的な言葉も交わさず、自分は父から何を教わってきたのだろう。

上司に明日の予定を口頭で伝える。自分は何をためらっている。それは、やるべきことだから、やる。自分の価値観に沿っている。そこから逃げてしまうと、嫌な気分になることを知っている。やってしまったほうがいいことのはずだ。

失敗したイマイチな電話の応対。同僚に助けてもらって、夜には笑い話になっていった。気にすることなんて、もう吹っ飛んでしまっている今がある。吐き出す場所、聞いてくれる相手。抱え込まなくてもいい。そんなことを学ぶ。

不特定多数のいろんな人に関わる仕事だ。多くは普通でまともな善良な人々で、晴れた日常は続く。たまに思いがけない土砂降りもある。落雷やゲリラ豪雨もたまにはある。雨はいつの間にか上がっている。うつろう天気のような仕事だな。

TBSラジオの朗読「深夜特急」を毎晩聴いている帰り道。マカオ編、賽の踊り。「賢明か、酔狂な選択か」、そんな言葉が印象に残った。

仕事で窓口デビューした。同期に「お互い記念日ですね」と声をかけてみたら、共感できた気がした。やればやるだけ自信につながる。窓際おじさんになるより、ずっといい。

ボスに瞬間的に求められた仕事に、自信がなくてできなかったこと。不甲斐なかったこと。求められたレベルにまだ達していなかったこと。期待値と実力がただずれていただけ。でも「できないものは、できません」でいい。勘違いして間違って失敗するよりかはずっといい。判断は間違っていなかった。挑戦と無謀は違う。それはボスにも伝わっている。次につなげることは、できる。

電話に出て、窓口に出て、ようやく仕事が本格化してきた今週だ。そこに充実感はある。座って待つより、ずっとまともに感じる。大爆発している人がいたり、電話口で怒られたり、もともとの仕事イメージにようやく出会えたのだ。相手との会話で、いつの間にかクリアになって、雨は上がっていくのかという発見もあった。相手の気分だって天気みたいに気まぐれだ。負けないこと、あきらめないことは自分にもできる。もっと多くの経験を増やせば、それだけ辛い経験も薄まっていく。今日の痛みは、今日の中に置いていこう。