【2023.03.05】vol.26 40歳になった

日々折々

【2023.03.05】vol.26 40歳になった

仕事のモヤモヤが消えない。やるべきことはもう知っているし、できるはずだ。少し弱っているけれど、弱くても下手でもビビっててもいいや。自分にできそうなことを探してみようか。

高校時代のバイト先の先輩と3年ぶりに会って、酒を飲みながら近況を語った。自分自身よりも、周りの人の方が、自分のことをよく分かっている。そう気付かされる。周りの人の意見を聴いてみる。点と点がつながった感覚があった。

話していることが空振りしているときがある。それに気づくことはできている。そういうときは、一度止まってみる。話には、頃合いがあるのかもしれない。スッキリしない話なんて過去に何度だってある。そんなこともちゃんと忘れていく。

昔、仕事で付き合いのあった苦手な人が夢に出てきて、やりとりしている自分がいた。話しかけることを恐れていて、まぁいっかと自分の中で割り切っている。夢の中と気づいている。恐怖みたいなもの、自分で作ってしまった壁みたいなものがある。

ツイッター上で、ミスチルファンと薄く広くつながりができてきている。ファンが集うという店に行ってみたい。色んな人に会って語れたら面白そう。

大学卒業直前の頃をふと思い出した。16年前だ。卒業論文を書き上げて、すぐスペインを旅して、帰ってきて香港マカオへ行って、部活の同期たちと富士山エリアを旅行して、その後、トルコを旅して、帰ってきたら新入社員研修が始まり、卒業式があった。駆け抜けた怒涛の2ヶ月は、とても充実していた。

確認を躊躇っていた仕事を一つ片付けた。怖いと思いつつ、昨日は一歩を踏み出した。懸念していたものがクリアになった。かっこ悪くてもいい、失敗してもいい。60点くらいでもいい。乗り越えたから、そこからまた一つ強くなる。

人間関係に悩まずに恐れずに生きていければいい。けど、なかなか難しいときもある。そこからは、たぶん逃れられないな。

映画「シャイロックの子供たち」を見た。勧善懲悪の展開をベースにしつつも、スッキリしない後味をちゃんと残していた。一人ひとりが、それぞれの事情で動いている。人間のリアルな感情だ。その中で生き抜いていく。

小説「希望の国のエクソダス」(村上龍著)を読んで、考える。中学生の目から見た模範的な大人モデルに、自分はなれているのだろうか。背中はひどく曲がっていて、ハッタリバッタリかっこつけていて、それに気づいて姿勢を正してみる。こころもとなく、不甲斐ない気もする、生きてきたこの40年間。

noteのクリエイター(経済ジャーナリストの後藤さん)の有料会員になってみた。将来、自分がお金をいただく側になりたいのなら、先に支払うことの経験は、絶対に必要なはずだ。

40歳になった。一つの通過点だ。戻れない時間は、積み重ねてきた時間だ。両親や兄姉に感謝。多くの仲間たちに感謝。妻や子どもたちに感謝。支えられて助けられて生きてきたことを感じる。

職場で、卒業生たちの寄せ書きが事務室に届いた。言葉や手書きのメッセージが持つ力を感じる。直接の接点はほとんどないけれど、自分のなんてことのない業務が、めぐりめぐって生徒たちにつながっている。そんなささやかな実感が、自分の中に少しだけ彩りを加える。「彩り」のメロディーが聞こえる。

学校教育でも子育てでも、与えた多くのものが、子どもにとっては忘れられていくもの。残るものは選べないけど、一方で、思いがけず子どもの中に残るものもある。忘れていても、記憶の引き出しの中にはしっかりと残っていて、ふとしたときに引っ張り出されることもある。共に過ごした時間や経験が生きている。

ChatGPTを試してみた。AIがますます広がることを感じる。エッセイや小説だって書けるのだろう。これからは人間っぽさが大切になってくる。AIが書いた文章と、人間が書いた文章の違いはなんだろう。価値を持たせることができるのは、『「あの人」が書いたもの』という、超個人的なブランディングだ。文章も、絵画も、音楽も。