【2025.02.09】vol.129 友達の唄

日々折々

【2025.02.09】vol.129 友達の唄

家の食洗機が故障してしまった。自分で食器洗いをすると、時間と労力が余計にかかってしまうことを改めて感じる。あって当たり前だったものは、なくなったときに、その有り難さに気づく。そういうものは多くある。まぁ仕方がないとありのままを受け止める。

ミニバスの他のパパたちと、スマホやポケカやゲームなど、いろんな話をするようになった。似たような感覚を共有する。禁止ばかりではなく、子どもに自由の翼を与えたいという思いもある。親として学ぶことも多々あるなと思う。

佐藤可士和著「超整理術」を改めて読み直した。今の仕事のモヤモヤ感も、ただ情報の整理ができていないことが原因である気がしてきた。情報の整理だけでなく、そこから課題の整理もしてみる。空間も整理する必要があると感じている。頭の中の思考を整えたい。

仕事で感じる不安とは、そもそも何だろう。もし原始時代であれば、獲物が捕れないかもという不安と同じこと。もし戦国時代なら、戦に勝たねば自分は死ぬという不安と同じこと。近現代になっても、心の動きは似たようなものなのだろう。だから不安は消えてくれない。けれど、過剰に不安になる必要もないのだ。

「坂の上の雲」を読みたくなって、メルカリをぼんやり眺めていたら、全巻セットがいい値段で売れていることに気づく。安く仕入れて、その値段で売れば、利ざやが出るのではないか。ふと、どんな人が買うのだろうと考える。近くに古本屋や図書館がなくて、全巻を読みたくなった人が、ラクに買うなら、それなりの値段でも購入するのかもしれない。何百万人のうち1人でも買い手になれば、売上が立つ。やってみるか。

「担当」という言葉にピリピリしてしまうのは、自分に責任感がちゃんとあるからだ。だから、もっとピリピリしてもいい。いい意味でピリピリが起こるなら、自分はまだ期待されていて、試される機会の中にいて、自分はまだ磨かれているということ。相手が諦めてしまったら、自分は人として駄目な気がするし、やっぱり虚しい気もする。今はまだ成長期の中にいるのだ。言ってくれるうちが華、そのことに小さく感謝できる。

センター北のインド料理店でランチ。スリランカで毎日食べていたビュッフェと似ている気がして、懐かしかった。

映画「ドラえもん 鉄人兵団」を観た。最後は涙がほろりとこぼれた。主題歌「友達の唄」が自分の中で特別なものに変わっていく。この曲の歌詞と映画の物語がピタリとつながった気がした。友情の大切さを改めて教えてくれる物語。名作ということを知った。