【2024.08.11】vol.102 やめる力

日々折々

【2024.08.11】vol.102 やめる力

小1の娘が少しずつ父親離れしつつある気がして、その変化を感じる最近だ。子どもたちは成長し、親子関係も、変わっていく部分がある。理解もしているし、受け止めているけれど、なんとなくの寂しさも正直ある。子育てステージのシフトであり、時間の流れに乗って、自分自身もまた変わっていかなきゃなと思う。

ユニクロで買ったポケモン柄のTシャツに一目惚れして早速購入。色あいやデザイン、肌触り、どれも好きな感じがあり、気に入っている。本当に気に入っているものを身に付けると、幸せな気分になるらしい。それも幸福な習慣の1つだ。好きなものを食べるときも同じだ。衣食住という生活の基本に、バランスよく、好きを取り入れていこう。

「やめる力」(ジュリア・ケラー著)という本を読んでいる。現代社会は「何かを途中やめること」に否定的で、やり抜くことに美徳があるが、それに著者は疑問を投げかける。なるほど、そうだよなと思った。たとえば、人間以外の動物たちは、「生き抜く」という単純明快な目的のために、「うまくいかないことはやめる」という選択を常々している。自分の過去を振り返ると、高校時代に弓道部を辞めて、19才のときに大学を中退し、35歳のときに会社を辞めた経験がある。そのときは社会に拒絶された半端者のように感じたけれど、その選択で新しい道が開けたことも事実だ。人生は幸運と偶然の巡り合わせで、その中で流されて生き抜いてきた。ありのままの自分。それでいい。

自分の軸となる価値観は、優しさや寛容、親切、笑うことで、それが自分という人間だ。一方で、ご機嫌伺いや依存、他者との比較、見下したり見上げたりすることは苦手で、それは自分じゃないと思う。誰に対しても、対等で尊敬して、柔軟で包摂で、そんなふうに生きていきたい。失敗はしたくないけど、失敗に対しても寛容でありたい。

だめなことばかりで折れそうになるけれど、風向きはいきなり変わることもある。スピッツの歌詞が頭の中を流れて、今の自分を支えてくれる。

自分の戸籍をどこまで遡れるか、自分のルーツを探す旅をしている。少し行き詰まりかけたけど、区役所で相談したら、親切丁寧に教えてもらうことができた。また1つ進んだ。

靖国神社を訪れた。夏が来るたびに、この国の歴史や、先の大戦のことを考えるようにしている。心が透明になり、祈りを捧げて、祖先たちに感謝の言葉を心の中でつぶやく。小さな自分を感じる。遊就館で英霊たちの手紙に心が動く。父が幼子に向けて書いたものを読む。自分も父となり、子を想う気持ちに共感するようになった。

ドラクエ5がエンディングにたどり着いた。やりたいけど時間がないと後回しにしていて、人生でやりかけていたことの1つだ。4月から通勤バスの中でこつこつ15分ずつ進めて、ようやく完結。小さな積み重ねが、とんでもないところへいく。小さく分けて考える、時間を味方につける。まさにそれだった。すごい達成感と満足感がある。このゲームが、名作と呼ばれる所以がよく分かった。長い課題にようやく一区切りつけることができた。