【2024.07.28】vol.100 花火

日々折々

【2024.07.28】vol.100 花火

このブログのダイアリーも100回目だ。毎週日曜日の朝に書くことを続けて、約2年弱。積み上げてきた言葉や残してきた足跡は確かなもので、読み返すことで大切な何かに気づくこともある。ひとつの到達感があり、そしてこれからも続けていける気がしている。200回目に向けて、ただ書き連ねる。

近所の小学校で夏祭りがあり、20時に花火が打ち上がった。家の近くの駐車場から家族4人でその花火を見ることができた。そのわずかな時間の中に、ささやかな幸福を感じ、こういうシンプルなもので十分に足ることを知る。星座にぶらさがるような、夏の思い出。

職場では委託業者が今月から変わり、なんかうまくいってなくて、ボスや職場の人たちが荒れているように見える。求めるもの、求められるもの、プロとしての仕事。優しさだけでなく、厳しさだって必要になる。ひるがえって自分はどうだろう。明日は我が身、と戒める。立場におごることなく、日々を謙虚に受けとめたい。

小5の息子がサマーキャンプへ出発。早朝から新横浜駅まで見送った。外の世界で、さまざまな経験をさせてやりたいという親心はいつもある。準備に苛立ったりもしたけれど、楽しそうに出発していった姿に少しホッとした。よくてもそうでなくても、ひと夏の思い出ができますようにと願う。

日吉のHUBで、エールビール片手に、プロ野球のオールスター戦を見る。その非日常感が楽しかった。毎年の習慣の1つにしていこう。来年は誰か仲間を誘おう。

BUMP OF CHICKENのライブDVD「Silver JUBEREE」見た。2022年7月は、まだコロナ真っ只中だったときのライブだ。世の中あんな空気だったことを思い出した。藤原さんは、「ガラスのブルース」の中で『みんなの唄うパートが空白でも、安心してほしい』と語りかけていたことが強く印象に残る。『空白は何もないのでなく、空白がそこにあるんだ』と。

Pha著「パーティーが終わって中年が始まる」というエッセイ本を読んでいる。先週、高校時代の友人に会ったときに教えてもらった本で、さっそくアマゾンで注文した。40代の半端感や喪失感みたいなものが、つれづれと書かれている。話の方向性もなく、結論もどこにもないけれど、ぽつりぽつりな言葉になんだか共感してしまうのは、似た立場で同世代だからだろうな。