【2024.05.05】vol.88 からっぽにする習慣

日々折々

【2024.05.05】vol.88 からっぽにする習慣  

長野県にある奈良井宿へ小旅行。第一印象は、江戸時代にタイムスリップしてしまった感覚だ。この宿場町は、今も生きている。観光目的の作りものではなく、人々の暮らしや生活がある。人の営みや記憶、思い出は街道に残る。そこではさまざまなものが、かつては行き交っていて、また今も行き交っている。

松本市美術館を訪れた。たまたま偶然、「ブラック・ジャック展」を開催していた。漫画の1コマ1コマの絵やセリフに触れながら、小学生の頃に読んでいたときの記憶が蘇ってくる。「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね…」「医者は人をなおすんじゃない 人をなおす手伝いをするだけだ なおすのは・・・本人なんだ 本人の気力なんだぞ!」というセリフが強烈に残っている。この漫画は、今の自分自身の考え方や道徳観の基盤を形成していることに気づいた。

やるべきことも、やりたいことも山ほどあってアップアップだ。誰かに教えてもらったことをきっかけにして、試してみたいこともある。川崎の焼肉屋に行きたい。バカリズム脚本のテレビドラマも見てみたい。面白い世界、知らなかった世界がまた少し開けそうな予感がする。素直にやってみて、抵抗せずに、受け入れてみる。小さく試す、なるべく早く。

やることリストに圧迫されてしまうときがある。急がされているようで、疲れてしまって、気が重くなるときもある。そういうときはすべてを捨てて、流してしまう。自分をからっぽにする習慣を取り入れる。からっぽにして、また詰め込んで、捨ててしまうことをただただ繰り返して、生まれ変わる。

けんすうさんの「物語思考」を読んでいる。仕事帰りのスタバで、メロン・フラペチーノを飲みながら、「10年後になりたい自分の姿」を手帳に書き出してみる。60項目ほどあり、頭がスッキリしてきた気がした。

先週会った人が、ホームページに載っていなくて、あれは幻か蜃気楼だったのだろうかと思う。「NOT FOUND」という言葉が脳裏に浮かんだ。ネットも人も、跡形もなく急に消えてしまう。寂しさはありつつも、自分の記憶だって忘れていく。そんなの誰だって知っている。すべて忘れて、日々はまた続き、そうやって続いていくんだ。

時計の針は、時を刻んでいる。エッセイを書いてみたい。それをどこかに発表して誰かに読んでもらいたい。ミスチルやバンプ好きの仲間とのつながりを探してみたい。SNSの可能性を広げて、その広さに溺れて疲れて、時間が足りねぇなってまた考えたりしている。季節は4月が終わって5月になっている。