旅の日程:2008年8月11日〜16日
■モンゴルへの憧憬
世界地図を眺めれば、南米や欧州と違って、比較的近いように見えるモンゴル。でも、どことなく、とても遠い手触りがある。360度広がる草原の中を、馬が駆け巡るようなイメージ。素朴でのどかで静かな時間が流れているような。この現代社会の中にも、そのような場所がいまだ息づいているのだろうかと、ふと不思議な気分になる。モンゴルという言葉を聞くと、そんな思いが胸を去来する。
自分の中でもっとも遠い記憶は、「スーホの白い馬」だ。小学生の国語の教科書に乗っている物語だ。自分が小学生の時に呼んだ物語。今、父親となって、小学生の息子が同じ物語に触れている。それもまた、不思議な気分になる。スーホの物語は、変化していく自分とは関係のない静かな場所で、そこにとどまり続けているのだ。
他にも、モンゴルに関わる記憶はある。椎名誠さんが作った映画。椎名さん好きな母親と一緒に、見に行った記憶がある。それも小学生の時のこと。タイトルを忘れてしまって検索すると、「白い馬」というタイトルだった(グーグルって便利だな)。ストーリーはほとんど覚えていないが、少年と馬と草原、ただその映像だけは、ぼんやりと心に留まり続けている。
大学生になって、大学の仲間たちが、毎年モンゴルツアーみたいなものに参加していた。誘われてタイミング合わず機会も逸していたけれど、ふとそんなことも心に残っている。それから、司馬遼太郎「街道をゆく モンゴル紀行」という本も、とても印象的な紀行文で、私の中でモンゴルイメージは、360度の草原になって広がっている。
いつか行ってみたいと思っていたのだろう。そういうときにセレンディピティというものは舞い降りる。会社の夏休みとモンゴルツアーの日程がうまく重なり、申し込んでみた。面白そうだなと思ったのは、馬に乗ってモンゴル帝国の遺跡を目指すという内容だった。途中でゲルにも泊まることができるらしい。
■草原を駆ける
羽田空港の国際線ターミナルでツアーは集合。どんな人がいるのかなと思ったら、なかなか多彩。60過ぎのおじいちゃん3人組、子連れファミリーが1組、30代くらいの女性が2名と、30代の男性が1人、それに単独参加の私だ。
夕方出発し、ウランバートルへは直行便でいく。夜中に到着し、その日はそのままホテルで宿泊。
最初はウランバートル市内を歩く。そこは、モンゴルの草原イメージとは違い、都市化された街。モンゴルにも近代的な町があるのかと知る。どことなく旧ソ連っぽい共産圏っぽい無機質さを感じられるのは、やはりソ連の影響だろう。モスクワの陰気な空気を思い出した。それでもロシアと違って、のどかさや開放的な気分もあるのは、モンゴルならではなんだろうなと考える。こぶりながらショッピングセンター(ノミンデパート)があったり、コンビニっぽい商店もあったりする。ガンダン寺を訪れた。
ウランバートル観光は、軽くタッチする程度で、我々はワゴンに乗り込み、郊外へ向かう。郊外は、もうすでに草原の世界だ。あのモンゴルのイメージがそこにはあった。日本語が話せるモンゴル人ガイドさんの他にも、我々をお世話したり料理したりしてくれるスタッフが2名ついている。彼らが、キャンプごはんを作ってくれる。
モンゴルの家といえば、あのゲルである。夕方近くになると、今夜の宿に到着。草原の中に、ゲルがいくつか集まった集落に到着。ここは、観光客向けではあるけれど、ゲルに泊まることができる。
■乗馬
朝焼けは、どこまでも広がっていた。新しい一日があたりを包む。今日から、我々は馬に乗って移動することになる。ここから3日間かけて、目指す場所はカラコルム遺跡。モンゴル帝国の首都の跡地だ。馬に乗るといっても、自分は初心者だ。そんな初心者がすぐ乗れるようになるのかと思っていたが、モンゴルの馬は気性がよく(大切にされているということだ)、乗りこなすのは比較的簡単という情報も聞いていた。ガイドの遊牧民たち(おじいさんと若者2人組)が、10頭以上の馬を連れて、我々と合流した。
乗馬の仕方を教えてもらう。馬の目をしっかり見て、話しかける。なるほど、心の交流も大事なのだ。背中にまたがるのは、それほど難しくない。あとは、「進め」、「走れ」、そして大事な「止まれ」の合図。車と違って、ボタンやレバーがあるわけでもない。手綱を引いたり、振ったり、お尻を叩いたり、して馬をコントールする。何回か試すうちに、すぐできるようになった。これは面白い。メンバーも各々の場所で練習している。自分で動かせるようになると、そこはもう大草原。どこまでも進むことができる。スピードだって出せる。あんまり無茶して落馬するおじさんもいた。トコトコ歩きよりも、駆け抜けたほうがお尻への負担はラクだ。ただ、この3日間の旅は、長い。永遠へと広がるような草原を、ただ進んでいく。ときに遊牧民たちの暮らしや羊たちの群れを見る。夜はテントに泊まる。トイレはもちろんない(遠くの場所にいって、穴を掘る)。歯磨きも、ペットボトルの水を使う。現代文明から切り離された時間は、それはそれでとても新鮮で、非日常感があり、野性の心に触れる。わずかながらも、遊牧民たちの気分に近づく。
ときに、遊牧民たちの家を訪れる。驚いたのは、衛星テレビがあって、アンテナで受信しているのだ。そこではちょうど北京オリンピックが放送されていた。外には、バイクもあった(乗せてくれた)。現代文明もまたゲルの中に入ってきているとは想像していなかった。これはこれで時代の変化とは無縁でいられないということだろう。馬乳酒をいただく。少しすっぱくてグッとくるような味だった。生まれたばかりの子羊がいた。生命のつながりがそこにはあった。
水飲み場があれば、ガイド遊牧民たちは、馬たちに水を飲ませる。我々はその光景をみて、暮らしを感じる。水が飲める場所というのは、きっと昔から先人たちが大事にしてきたのだろう。そして、分からないけど、彼らのルールがあるのだろう。遠目にみて、そんなことをぼんやり考えた。
乗馬して2日めの夜。いよいよ明日がカラコラムに到着。モンゴル相撲を実際教えてもらったり、手作りピロシキを食べ(ロシアを感じた)、焚き火を眺める。
3日目、ちょっとしたトラブルが起きた。様子を見ると、何やら揉めているようだった。このままでは、馬でカラコルムにはたどり着けないという。もともと、このツアーは、草原を馬で駆け抜けて、カラコルムを目指すというのが大きなテーマだった。そして、馬に乗って我々もここまで来た。ガイドさんの説明によれば、ガイド遊牧民たちが想定したものとは少しずれていたらしく、要は馬の水飲み場の確保の問題で、難しいということだった。結果としては、ちょっと車を使ってほしいということだ。これについて、ツアーメンバーの中で一部、異論が出たのだ。馬でたどり着くというツアーに申し込んだのに、どういうことだ、というクレームだ。とはいえ、そんなクレームも結局、企画者はここにはいないし、モンゴル人たちにぶつけてもちょっと違っている。メンバーの中で、「彼らは悪くないし、馬のことがあるなら、尊重しよう」とまっとうな意見を言う人もいた。しばらく日本人たちが話し合った結果、ここは車を使い彼らにとってベストな方法で、カラコルムを目指そう。そして、クレームは日本に戻ってから、旅行会社にすればいい。(そういえば、帰国後に旅行会社から謝罪連絡があった)。
旅には柔軟性が必要だ。思ったとおりにならないことが多い。そこで執着してしまうと、自分も苦しくなる。そのばその場でベストな選択をしていくこと。相手を尊重すること。そういうことが大事だなと思った。
■カラコルム到着
広大な草原の中、地平線のむこうにいよいよ見えてきたのは、遺跡の群れだ。世界遺産カラコルム。モンゴル帝国の王都。世界の中心がここにあった。草原をしばらく走ってきて、町に帰ってきたような安堵感に近い。町を囲む城壁はいい形で残されている。モンゴル帝国といえば攻撃型というイメージがあるが、ここは中国の城郭都市にも似た、高い城壁がある。防御性の高さは感じられるが、皇帝は守りのために作ったのだろうか。それとも、威厳として、1つのカタチとして、この都市を作ったのだろうか。そんな疑問をめぐらせてみる。
正面の門をくぐると、石畳の道がまっすぐ伸びている。京都のように碁盤目で作られている。ということは、中国の都と同じスタイルだ。そう、どことなく、中華を感じるのだ。中華文明は周囲の国に真似される事が多い。それゆえ、中華は中華としてのひとつの文化圏を形成しているのだろう。
今はもう、がらんとしてなにもない空間に、かつては、どのような住居が建っていて、人々の暮らしがあったのだろう。古を偲ぶ。栄華必衰という言葉が頭にふと浮かんだ。広大すぎるモンゴル帝国を感じることができるのは、世界で唯一ここだけなのかもしれないと思った。遊牧民たちは、移動し続ける。地に足を埋めることなく、移動する。モンゴル帝国もきっとそうだったはずだ。その潔さは何も残さずに、点から点へと移動する。広すぎる世界は、彼らにとってもしかしたら心地よかったものかもしれない。風の前のチリと同じく、何も残さずに駆け抜けていく。幻のような国。ローマ帝国の遺跡が世界各地に残っていることと比べると、草原に吹く風のようだ。そんな中で、カラコラム遺跡は、帝国がここにあったと我々に語りかけてくる。
ここまで旅をしてきた遊牧民たちとも、ここでお別れだ。彼らがいたから、ここまでこれた。数日間だけだったけれど、とても尊い時間だった。この出会いと別れもまた、風のように過ぎ去っていく。そして、いつまでも心に残り続けるのだろう。
■ウランバートルの夕暮れ
時間と空間を巻き戻して、現在のモンゴル国の首都ウランバートルに戻る。途中、草原の中に走る鉄道を見た。なんだか不思議な憧憬を感じた。近代文明というよりも、のどかさという印象のほうが強かった気がする。遠い地平線の向こうに、町が見えてきた。ウランバートルの町に戻ってきたのだ。
国会議事堂の前に、チンギス・ハーン広場が広がる。石の階段を登った先には、巨大なチンギス・ハーン像があった。威厳ある姿で、どこか遠くを見つめている。広すぎるユーラシア大陸は彼にとってどれくらいの広さだったのだろうか。広がり続けるモンゴル帝国とはどんなものだったのか。もう少し勉強してみたいと思った。
連れてこられたのは、小高い丘のふもと。長い階段が丘の上まで続いている。ザイサン・トルゴイ。そこには展望台があり、ウランバートルの町が一望できる。時刻は夕方。周りには地元のモンゴル人たちが多くいて賑わっていた。日が暮れて、街の中のビルや建物に光が灯り始める。あたりは闇に包まれて始めて、草原はまた夜を迎えるのだろう。夜を越えて、朝が来て、ずっとずっと長い時間、繰り返されてきたものがあり、これからも同じように続いていくこと。近くて遠いようなこの国はまほろばのようで、歴史の舞台に躍り出た一時期を除けば、静かな人々の営みが繰り返されてきたのだろうと考える。人々は笑顔で優しく、なんだかホッとするような場所だ。ウランバートルの夕暮れを眺めながら、旅を振り返った。
モンゴルの旅、これで終わる。
完