2001年、シンガポールの旅
旅程:2001年10月13〜16日
■プロローグ
前回の韓国の旅は、たった4日間だったけれど、私の旅の遺伝子は目覚めさせたらしい。帰国した翌日から早速、次の目的地を探し始めた。しかし、まだ旅のひよっこであった自分は、インドや南米、アフリカなどはもちろん、タイやベトナムさえ秘境のように思えて、怖かった。それゆえ目的地は、近代化が進んだ地域で、せっかくなら英語圏、などと考えていた。そして、旅行代理店のチラシを物色し、シンガポールに決まった。
■旅がはじまる
成田を発った全日空の旅客機は、6時間という長距離飛行を経て、シンガポールのチャンギ国際空港に着陸した。時刻は深夜、あたりは暗く、遠くの空には月が翳った。10月なのに外気はムワっと生ぬるく、この国が赤道直下にあることを肌で感じた。なんだか夏に戻ってきた気分だ。
到着ロビーで、「MOTOKI SATO」と書かれたプラカードを見つけた。待っていた女性ガイドさんは、40代ぐらいに見えたけれど、中華系の美人という感じだった。「あと2人きますので」と言うので、しばらく待つと、OLさん二人組が近づいてきた。互いに自己紹介し、名前を聞くと、1人がサトウさんで、もう1人はスズキさん。日本代表の苗字が偶然にも集った。佐藤と佐藤と鈴木の3人で旅は始まる。
■街をあるく
シンガポールは、東洋と西洋の交差点だ。アジアでありながら、ヨーロッパにいるような感覚がある。イギリス植民地時代の面影は、今なお随所に垣間見える。
到着の翌日、ガイドさんと一緒に市内観光へ向かう。前日合流した佐藤さんと鈴木さんも含め全部で4人、小さなワゴンに乗り込んだ。
シンガポールの顔といえば、やはりマーライオンだ。「世界3大がっかりスポット」とも言われる。その理由は「意外に遠い」「意外に小さい」「口から水を吐き出していない」というものであるらしい。ガッカリするモノではなかったけど、「まぁ、こんなもんだろう」ぐらいの感想だ。
そもそもシンガポールには何があるのか?という疑問がある。まず『マーライオン』は思い浮かぶ。他には、チャイナタウンがあり、リトル・インディアというインド人街があったり、イスラム式の建築があったりする。それらを歩いて回っていると、ここが多民族国家であることを実感する。
同行している佐藤さんと鈴木さんは、世界各地を旅してきたベテランのようだ。シンガポールのことを「それほど面白い街じゃないねぇ」と言っていたのが印象に残っている。前回はイランに行ったらしい。自分はまだ2ヶ国目だったから、イランを訪れるだなんて、全く想像がつかない。けれど、このときの自分の旅の感性はまだまだフレッシュで、どんな国でも純粋に面白いと思える時期でもあった。どんな場所にせよ、面白いのかどうかは人それぞれの感覚でいいのかもしれない。
■ハイ・ティー
「ハイ・ティー」というイギリス文化がある。紅茶とともに、一口サイズのケーキやサンドイッチを楽しむ。英国植民地であったシンガポールにも、この文化がある。
シンガポールで有名なホテルといえば「ラッフルズ・ホテル」だ。東南アジアをバックパッカーしていた友人は、このホテルに、ボロボロの服装で入ろうとしたところ、血相を変えた守衛に入口で阻止されたという。高貴で一流のホテルなのだ。
ここラッフルズ・ホテルで「ハイ・ティー」の時間になった。
「tea or coffee?」と聞かれ、コーヒー派の自分でも、ここでは紅茶を選ぶ。イメージしていたお皿三段のスタイルではなく、ケーキバイキング形式だったけれど、いろいろなケーキが食べれて美味しかった。優雅なホテルで、優雅な英国文化を嗜む。悪くない。ホテルの建築や空間も、重厚さと優雅さがあって、おもしろい。
■セントーサ島を歩く
セントーサ島は、南端に位置するリゾート地だ。MRTを乗り継いで、ロープウェーに乗って、島に入ることができる。巨大なマーライオン、イングリッシュガーデン、水族館など、島の中のさまざまな場所をほっつき歩いた。
印象に残っているのは、旧英国軍が築いたという砦だ。海上交通の要衝であるシンガポールは、軍事拠点としても重要な場所だったのだろう。シロソ砦という。高台に登り、砲台の跡地から海を眺める。その開けた視界には、海峡を行き交う多くの船が見えた。この海域が交通の要衝であることや、砦を築いた理由が肌で感じられた。
■旅のあとがき
シンガポールへの憧れのはじまりは、中学2年生のときの英語の教科書だった。その授業で、シンガポールではゴミを道端に捨てたり、信号のない道路を横断したりすると罰金がとられるという話があり、妙に印象的で心に残った。きっときれいな国なんだろうなとか想像していた。その頃からいつか行ってみたいと思っていたのだろう。
「物語 シンガポールの歴史」という本を読んでみて、この国の歴史がとても興味深いことを最近知った。英国の植民地時代のあと、一度マレーシアに編入されていたが、わずか2年で、マレーシアから「追放」されたという。シンガポールの始まりは、「自立」というよりも「追放」だったことに驚いた。そこには、経済格差や民族の人口比率が生む政治問題などもあったようだ。追放されたことで、この国は、国際社会の荒波に放り出されてしまった。ただ生き延びるために、経済発展を至上命題に掲げて、人々は努力を続けて、結果、世界有数の豊かな国家にまで上り詰めたのだ。それは、とても興味深い物語だった。シンガポールの子どもたちが学ぶ歴史の教科書には、この国の成功物語はどんな風に書かれているのだろう。教科書を読んでみたい気がする。
帰国便は、夜のフライトで、早朝に成田空港に着いた。空港から電車で家に帰る途中、電車の中でお年寄りの老人に席を譲るという行為を自分がしていた。今までなら、妙に照れくさくてできなかったことだ。それは18歳にして人生で初めての経験だった。シンガポールで、若い西洋人が席を譲る姿を見たたのだ。その小さな経験が、自分を動かしたのかもしれない。自分が少し変わって、大人になったような気がした。
【完】