2008インド

2008年、インドの旅

旅程:2008年4月27日〜5月3日

■インドへのいざない

インドを旅することは、大きな節目のひとつであると私は考えていた。これまで出会った人たちには、「インドに行ったことがある人」と「まだインドには行ったことがない人」の2種類がいる(当たり前だけど)。その両者の間には何となく大きな隔たりがあるように思える。

ほとんどの人たちは、インドに対するイメージというものを漠然と持っている。実際にインドを旅した人たちは、さまざまな情報をもたらしてくれる。ハマるほど好きになる人、もう二度と行くものかと思う人。どっちにしろ感想は極端なものが多くて、それはそれは強いインパクトがある。とにかくインドでは何かを感じて、その人の中に何かを残していくのだろう。強烈なイメージや極端な情報が、ずっとずっと私をビビらせていた。インドの旅はさすがにハードルが高いな、と。

とはいえ、それでも何か吸い寄せられる感覚もある。行ってみたいというより、いつか訪れるのだろうか、というような想像がある。どの国を旅していても、本屋の「地球の歩き方」コーナーでどこに行こうか考えていても、インドが存在している。

踏み切れない日々はずっと続いていた。

その一線をついに超えることになったのは、大学の部活の仲間たちが卒業旅行でインドに行ったという話を聞いたことがきっかけだ。男4人のそのインドの旅の話は、愉快で、苦労ばかりで、おもしろくて、ごちゃごちゃしていた。自分の中で急速にインドが身近な存在になってきた。俺でも行けるんじゃないか、と。根拠などなく、そんな気がしてきた。そこからは早かった。そのインド話を聞いてから2ヶ月後。ゴールディンウィークに1週間の連休もとれた。格安航空券を購入し、インドへ飛ぶ。社会人2年目で、自分は26歳になっていた。

■成田空港での出会い

成田からデリーへの直行便、エア・インディア。航空会社の名前にすら、すでにビビり始めている。ちゃんと飛ぶのだろうか。そしてデリー空港は、悪名高いことで有名だ。すべての旅人たちは、インド入国にあたって、そこで歓迎という名の洗礼を受けることになるのだろう。悪いうわさばかりが先行する。

成田空港の搭乗ゲート25には、デリーへ向かう人々が待っている。帰国するインド人たちと、これからインドを旅する猛者たちだ。服装や荷物、それに顔つきなどを見れば、バックパッカーとわかる。いよいよ旅立ちかと気分が高まってきたそのとき、同世代くらいの日本人男性から話しかけられた。

「空港から街までタクシー相乗りしませんか」

さっそく私の旅がひとつ動き出した。人とのご縁が突然つながり、この人となら一緒に行けるという直感が、旅を面白くする。デリー空港にビビっているのは自分だけじゃないのだ。仲間と組んで、立ち向かうこともできる。近くで話を聞いていた旅人も、我々の会話に入ってきた。こちらは女性で、一人でインドに行くという勇ましい方だ。ここで、ひとり旅の3人は一致団結した。フライトの席はバラバラだったから、デリー空港に到着したら、ロビーで合流しようと約束した。こうして、カレーのにおい立ち込める機内に乗り込み、座った席の周囲はインド人ばかりで、出てきた機内食はもちろんカレーだ。直行便は、無事に飛び立ち、デリー空港へ着陸。インドの旅が、始まった。

■ニューデリーの朝

朝、目覚めると、窓の外から音が飛び込んでくる。バイクのクラクション、人のざわめき、アジア独特のあの喧騒と呼ぶべきさまざまな音。街はもう動き始めている。私は、パハールガンジというエリアにある安宿に泊まっていた。このゲストハウスの窓から、眼下の裏路地を眺めてみると、そこには牛が歩いている。やせ細った牛だ。

前日の夜、悪名高きデリー空港に到着した。成田で約束したメンバーたちと合流し、タクシーに乗り込んだ。このお二方の旅慣れたたくましさには圧倒された。いかにも人を騙しそうなドライバーを相手に、この2人は、がんがん舌を巻き、相手を黙らせて、ボッタクリとはどこへやらという見事な交渉をしていた。その頼もしさを外から眺めて、私は安心感の中にいた。車内でも、がんがん騒ぐこのお二人。もはやドライバーは、ぼったくってやろうという気さえ削がれていて、「このうるさい日本人たちを早く降ろして仕事を終わらせたい」という気分になっているようだった。日本人旅行者たちは完全にペースを握っていた。私は驚いた。インドでの作法を見た気がした。この経験はあとで活きる。

インドの旅は8日間と短い。ざっくりな予定は3つ。帰国日までにニューデリーに戻ること、聖地バラナシには行ってみたいこと、タージ・マハルも見逃させないこと。旅のメインは、バラナシにできるだけ長く滞在することになるだろう。

同じ部屋に泊まった旅仲間の2人とは、それぞれ目的地が違うので、翌朝すぐにゲストハウスで別れた。ここから一人の旅が始まる。

■列車の旅

ニューデリー駅へと向かって歩く。このまま電車に乗ってバラナシへと向かう予定だ。駅前では、カモを探すインド人たちが話しかけてくる。早くも、疲れと暑さと孤独感で気持ちが弱ってくる。地球の歩き方には「駅のチケット売り場には、外国人専用の窓口が2階にある」と書かれており、それだけを心の支えに人混みをかきわけていく。チケット売り場を探していると、その私の姿を見てインド人たちは、インド人用の窓口に連れ込もうとする。他にもよくわからないツアー会社に連れ込もうとする。もう大変。くたくた。階段を登ると、2階には確かに外国人観光客が集まっていた。そこは現地の人は入れないらしい。ドアを開けようとすると、インド人たちは「ここじゃないよ」とギリギリまで追い詰めてくる。もう大変、くたくたくた。「うるさい、どけ」という気持ちでチケットオフィスに入れば、ようやく静かな時間が訪れた。ようやくチケットを手に入れた。うわさ通り、駅前のインド人は嘘つきばかりだ。情報は大事だ。そして自分で乗り越えるたくましさも必要なのだ。

ひと仕事を終えたので(まさに仕事だった)、屋台でカレーとチャパティを食べた。ついでに、レッドブルも飲んだ。身体に染み渡った。本当に翼を授けられた気がした。

駅のホームはごった返していている。インド人たちばかりだが、ちらほらと外国人旅行者もいるようだ。自由席車両のドアには、列おかまいなしに人が集まっていた。ドアがまだ開く前に、窓から乗り込む人たちもいた。想像どおりのインドだなぁと思いながら、自分の車両と指定席を探す。席は、4人でワンボックスという形で、ベットが上下に2段、それらが向かい合う配置だ。自分の席番号を確認し、ここで間違いないはずと一息ついていたら、やがて列車は出発。長い旅の始まりだ。

しばらくすると、車掌が近づいてきて、何か言う。身振り手振りから、「この席ではない。あっちへ移動しろ」と言っているようだった。ん、席を間違えたか。でも合っている気もする。疑問符のまま、とりあえず指示に従う。移動した先は、同じような席だったけれど、他の日本人旅行者がいるボックスだった。おそらく、日本人旅行者をひとつにまとめたかったのかもしれない。真相は分からないが、いずれにせよ、インド人ファミリーたちがガヤガヤ騒いでいた席に比べ、こっちは静かに過ごせそうだった。結果的にはラッキーだったように思う。

車内販売の弁当売りがやってきて、せっかくなので購入。カレーとチャパティの機内食のようなワンプレートだったが、なかなか美味しかった。目の前に座っていたインド人青年は、英語が堪能でインテリっぽい雰囲気だった。彼は「Population is power(人口は力だ)」と言った。その言葉が鮮明に今でも頭に残っている。寝台車はわりと快適で、よく眠ることが出来た。

■バラナシの街

早朝、バラナシ駅に到着した。駅前広場は、人やら車やらリキシャでごった返している。早朝から喧騒が溢れている。とりあえず今夜の宿探し。電車で一緒だった日本人男性と意気投合し、一緒に街へ行くことにした。この街の中心地は、ガンジス川沿いにあり、駅からやや離れている。駅前のリキシャをつかまえて、早速値段交渉。この手間と面白さがインドの旅だ。ところどころで日本人旅行者たちがリキシャと交渉している。彼らと情報交換しつつ、だいたいこんなもんだという相場を掴んだところで、リキシャに運んでもらうことにする。

しばらくして街中に入る。目当ての宿としては、ガイドブックでも評判が悪くなかった「ガンガーフジ」というゲストハウスへ。フジは富士山のフジらしい。というのも、オーナーは日本に住んでいたことがあるらしいのだ。それゆえか、日本人にも好評のようである。部屋の中を見せてもらい、よさそうだったので、ここを拠点にする。予定としては3泊だ。エアコン有り無しが選べたので、ここはエアコン有りにしておく。旅の始まりだ。

■ガンガーの悠久な流れ

早速、ガンジス川を探す。宿から、数分も歩けば、そこはもうガンガーだ。ヒンドゥー教徒にとっての聖地。母なるガンガー。インド中から人々はこの場所に集まってくる。そしてまた世界中の旅人たちをひきつけてやまない場所。

茶色く濁った河面は、流れが緩やかで、幅も広い。川に沿ってガートと呼ばれる木の板や、石の階段はどこまでも伸びているように見える。人々で混み合っていて、裸で沐浴するもの、洗濯するもの、祈りを捧げる者、水にダイブする者、、、あらゆるものがここにはあり、バラバラであって、同時に、ひとつの統一感をもっている。

インドを旅した者は、2つに分けられる。「ガンガーに入った者」と「入らなかった者」。「ガンジス川でバタフライ」という本は読んだ。映画もあった。

実際に川を見れば、衛生的な視点で考えれば、明らかだ。入らない方がいいとも思う。でも、インドを感じるためには、入らなくては分からない。そこにためらいなどない。私は入る。パンツ1枚になる。頭と顔を水の中につけるというところまでは、さすがに躊躇ったけれど、肩までどっぷりと入ることができた。そこに神秘的なものを見たわけではない。これがガンガーか、そこに自分がいるのか、という実感があったくらいだ。周囲では、インド人たちが沐浴したり、泳いでたりと混んでいて、自分が珍しい目で見られることもなく、ただその空気の中に自分が溶け込んでいるような感覚だった。母なるガンガーは、優しくすべてを受け入れてくれるということなのだろう。

■牛が歩く街

バラナシの旧市街地は、ただ歩くだけで楽しい。道は狭く、人は多く溢れていて、やせた牛が道の向こうからやってくる。牛たちは、店先に売られている食べ物を狙い、店主はほうきでそれを追い払う。牛はヒンドゥー教のなかで、殺すこともできず、かといって生活の中で邪魔なことに変わりはないので、神様の使いともいうべき牛たちは、ところどころで人間たちに追い払われている光景がどこにでもある。あわれというか、こっけいというか。

街の中を歩いていると、日本人バックパッカーたちとよくすれ違う。お互いに、何日も滞在していて、狭い街なので、同じ顔に何度も出くわし、挨拶を交わし、情報を交換する。次第に屋台で一緒に御飯を食べるようになる。ヨーロッパとアジアを旅していて感じることは、こういう日本人ツーリストと仲良くなれるのは、アジアのほうが圧倒的に多い。特に、インドのように、旅の苦労が多ければ多いほど、仲良くなりやすいという実感がある。旅のテンションがハイになり、苦労や失敗、人に話したいこと、たくさん経験して、人恋しくなったり、それがアジアのエネルギーなのだろう。ヨーロッパの旅は、仲間はできるけれど、どことなく人が疎遠なところがあるのだ。その点、インドの面白さは、仲間がすぐできる。みんな、それぞれの旅をしているのだ。

夕方、ガンジス川の夕暮れはとても美しい。この瞬間が一番いいかもしれない。ボートに乗ることができる。ボート屋の若者と、時間と料金を交渉してから、握手をして、水の上に出る。川沿いの町並みが、夕日に染まって、曖昧になる。水面は優しく揺らいでいて、オレンジ色を放つ。

日没後、夜はガートで、お祭りのような光景を見た。それは、プージャと呼ばれる。ヒンドゥー教の礼拝儀式らしい。人が多く集まり、ステージで踊りあり、楽器の演奏あり。火が灯されて、そのギラギラとした、まばゆい光の中で、インド人たちは祈りを捧げる。旅人たちはその光景を楽しむ。

朝は早起きして、ゲストハウスの屋上から、朝日を眺める。ガンジス川へ向かって、朝の景色を見る。一日の始まりを感じる。

そうやって、バラナシの毎日は繰り返される。その日常の中に私は溶け込んでいて、次第に慣れていくことに気づく。街を歩けば、毎日何かしらの発見があり、インド人たちが話かけてきて、飽きることがない。寂しさもない。すぐそばにある川沿いに出て、そのガートに腰をかけて休憩をすることができる。そこでもインド人たちが話しかけてくる。悪い人と良い人の区別ははっきり分かるようになる。目が合えば笑顔を交わす。この世界に自分が受け入れられている感覚になる。時間帯によって変わるガンジス川の色を楽しむ。疲れたら、ゲストハウスに戻り、エアコンの効いた部屋で、昼寝をする。午後は、暑いので、部屋で休み、夕方になれば、また街を歩く。出会う日本人旅行者たちは、それぞれのタイミングでバラナシに到着しては、去っていく。「今夜デリーに帰るよ」という人や、「今朝、着いたばかりなんだ」という人がいたり、さまざまだ。つかず離れずなカタチで、その人間関係がなんだか心地よかった。

ある日のこと。たまたま、日本人男子5人が街角で集まっている中で、ラームナガル城に行ってみようという話になった。旧市街から川を渡った対岸、リキシャで30分ほどかかる。ちょっとした遠出になるので、みんなで割り勘しようと、リキシャの運転手を捕まえて、値段交渉。我々も、インドを旅する中で、大なり小なり、インド人との交渉に慣れつつあり、やられたりしつつあり、意気込みも盛ん。いい意味で、運転手を5人で囲み、その交渉を楽しんだ。3人しか乗れないリキシャに、5人乗せろとか、値段もがんがん値下げ交渉。運転手もオーケーオーケーというカタチで、交渉成立。

ぎゅうぎゅう詰めのリキシャ内で、男5人、ガヤガヤしながら、そのちょっとしたドライブを楽しむ。ガンジス川にかかる橋は浮き橋で、その道をゆく。渡った先には、ラームナガル城があった。見学しようと思ったら、たまたま休館日だったらしく、残念ながらなかに入ることができなかった。

屋台で売られているラッシー(ヨーグルト)が気になり、見た感じ「絶対お腹壊しそうだな」と確信しつつも、インドテンションになっていた自分ともう一人の男で挑戦。意外と美味しかったし、お腹も大丈夫だった。(というより帰国後にしばらくお腹は壊したが、どの食べ物が原因かはよく分からず、むしろ、いろいろ食べたことが原因だと思う)。ついでに、屋台でサモサもいただく。食べる楽しみ。

そんな楽しい小トリップも終わり、旧市街へ無事戻ることが出来た。面倒な旅人を相手にした運転手は、インド人にしては、けっこう紳士のナイスガイで、いろいろ無理お願いしたこともあったので、チップを多めにあげることにした。

■ギタリストとの出会い

同じゲストハウスに泊まっていた彼は、自分と同世代で、話もはずみ、とても印象に残った出会いだった。実家がお店をやっていて、継ぐことは決まっていたのだが、大学卒業し、就職前の経験として、インドにきたという。ギタリストの彼は、インドの楽器シタールにほれこみ、それを覚えたいと言っていた。数ヶ月の長期旅をしており、それゆえか節約のために、エアコンなしの部屋を使っていて、その暑さにグッタリしていたので、自分のエアコン付きの部屋で昼寝してもいいよと、たまに貸してあげたら、とても喜んでいた。その長期の旅の話を聞く中で、金欠に困っている様子だった。就職前の人生のモラトリアムを充実させたいという彼の熱意に、なんだか惚れてしまい、協力してあげようと思った。私はもう帰国も近く、金銭の余裕もあったので、日本円3万円を貸すことにした。でも、私としては、貸すという感覚よりも、寄付みたいなものと捉えていて、別に返さなくていいよ、くらいの気持ちだった。なんだか応援したくなったからだ。そのちょっとしたお金で彼の旅が少しでも長く続き、少しでも多くの経験ができたらいいなという思いだった。

後日談になるが、帰国してしばらくすると、本当に現金書留の郵便物が届いて、お金が戻ってきたのだ。それは、律儀な男の姿をみて、なんだか嬉しくなった。長崎に住んでいて、数年後、ちょっと長崎を旅する機会があって、連絡をとってみたら、長崎で再会を果たすことができ、それはそれでとても嬉しい、お酒が美味しい夜となった。インドの旅を思い出ぶかくしてくれる、とても印象に残るエピソードの1つだ。

■タージマハールをあきらめる

さて、この旅の予定として、バラナシのあと、電車でアグラへ行き、そこで一泊して、タージ・マハルを見るという、ざっくりとした計画だった。ところがバラナシに着いて、ガイドブックを調べてるうちに、アグラに行こうとした日が「タージ・マハルの休館日」にちょうど当たることに気づいた。なんてこったい。世界遺産が休館するな。いろいろ悩んだ結果、どうしようもないので、タージ・マハルをあきらめて、バラナシを延泊することにした。バラナシはバラナシでとても楽しいのでよかったけれど、タージ・マハルを見れなかったことを悔やむ。またいつかインドにきたときに、必ず行こう。

■再び、デリーへ

いよいよ、バラナシを経ち、デリーへ戻る日が来た。そして帰国に向かって、旅を終わらせる。4日間お世話になったゲストハウスのオーナーに感謝を告げる。バラナシ駅へと向かうリクシャ。値段交渉も慣れたもので、一人でもスムーズに乗れる。少し成長した自分がそこにはいた。バラナシ発の夜行列車に乗り込み、時間は一気に巻き戻る。旅の疲れか、すっかり眠ってしまったようだった。

早朝にデリーに到着。デリーは相変わらず騒々しい。バラナシに比べて、大都市の感じがある。今夜一泊して、翌朝には帰国便に乗る。インドに到着した初日に泊まったゲストハウスにもう一度いって、部屋を確保した。

1日デリーを歩き回る。熱くて喧騒があって、疲れやすく、マクドナルドのコーラが不思議と美味しかった。インドと言えば映画ということで映画館にも行ってみた。カバンや荷物は、中に持ち込めず、外の荷物置き場に置く必要があって、やむなく貴重品だけ持つ。外に置いておくのも不安だ。映画館の近くにいた日本人の旅人が、なんか不安そうにしていたので、一緒に観ますかということで、一緒に入った。映画館の中は、値段によって席が分断されてたのも日本と違うなと思った。ヒンドゥー語で言葉はよく分からなかったけど、香港映画か何かのアクション映画だったので、映像だけでもなんとなくストーリーは楽しむことが出来た。

デリーの1日に、なんとなく物寂しさがあったのは、バラナシの印象が強烈すぎたからかもしれない。空港までの帰路もわりとスムーズにいき、エア・インディアに乗って、成田へ。

■旅のあとがき

「インドを旅した」というのは、旅人たちにとって、1つの大きな節目であるように私は考えている。インドの旅をふりかえると、記憶の中に本当にいろんなものが混じり合っている。散々な目にあった人は、きっと「二度と行くか」という気持ちになるだろうし、そんなイメージが世の中に定着している気もするんだけれど、ネガティブな情報ほど広がりやすいし、印象に残りやすいのは、インドの旅についても然りだろう。結局、自分のこの目で見て、肌で感じないと、何も分からない。自分自身の経験としては、不快なことはほとんどなかったし、現地で出会うインド人たちも、旅先で親しくなった旅人たちも、みんな人間味あふれる同じ人間だったと思ったし、騙しに来るインド人たちも、それはそれで、ゲームの登場人物にすぎないという感じがする。彼らも、悪人というよりも、僕らと同じ人間だ。愛嬌もあったりする。こちらの捉え方次第なのだろう。

それでも、さまざまな国を旅してきて思うことは、インドという国が独特で印象の強い場所ということだ。混沌とした場所、人間が溢れる場所、その人間の感情が溢れ出す場所。生々しい人間の感情を、生生しく感じる場所。それゆえ、インドが辛い人もいるかもしれない。一方で、インドにドハマリする人も大勢いる。

インドに行こうと思う人たちは、とても個性豊かで、面白い人たちばかりだった。バラナシの駅で出会った日本人男性は、「旅したことなかったけれど、これ(地球の歩き方)さえあれば、なんとかなるもんだと思いました」と目をキラキラしながら、率直な感情を自分に語りかけてくれた。そのことが、とても印象に残っている。旅に先輩も後輩もないと思うけれど、彼に出会って、自分も旅の原点を思い出したような気がした。こうやって、多くの人たちが、見知らぬ土地を旅していることが、素直に嬉しい。そして、自分もまた、旅を続けていきたいと考えるのだ。

<完>