2021しまなみ海道

2021年、しまなみ海道の旅

旅程:2021年8月8〜14日

■旅の始まり

旅行記を書き出すことは、旅立ちと似ている。

旅に出るときの、あのワクワク感。今こうして旅行記をどうやって書き出そうかと考えていると、この先に、どんなことが待っているのだろうと期待は膨らんでくる。待ち遠しくなる。実際はもう終わっている旅だ。旅の記憶というものは、どうしても薄れてしまうし、忘れてしまう。だからこそ書いてみることで、また改めて同じ旅に出ることができる。それはまるで昔の友人に再会するあのワクワク感に似ている。

しまなみ海道に行ってみたいと思った。しまなみ海道は、広島県と愛媛県の間の海を越える、大小の島々を結ぶ道だ。自動車道が走っているけれども、自転車で走ることもできるらしい。世界中のサイクリストたちのあいだでも、有名なサイクリングロードであるらしく、訪れるツーリストたちも多い。コロナ禍の2021年、外国人観光客が少ない今だからこそ、逆に国内を旅するチャンスでもある。

■尾道の夜

横浜から、新幹線で西へ向かう。下車駅は、広島県の福山駅だ。ここで在来線に乗り換える。駅前にはお城があった。福山城はちょうど改装中で、天守閣はネットにすっぽりと包まれていた。福山には、他に何があるのだろう?と少し検索してみると、「鞆の浦(とものうら)」というキーワードにぶつかった。そこに行ってみることにする。駅前からバスで30分。空は、台風が近づいている影響か、怪しい雲行きの天気になっている。台風情報を告げる町内放送も聞こえてくる。バスの窓からは、川が見えた。芦田川というらしい。緩やかな流れは、なんとなく優しく感じられた。海が近づくと、瀬戸内海の島々の影が遠くに見え始めた。

鞆の浦に到着。古民家が密集して立ち並んでいるということは、この狭い土地に多くの人が集まっていたということだろう。狭い路地裏は迷路のようで、歩くだけでわくわくする。古民家を改築してオシャレなカフェになっている家もある。海はすぐそばで、ここが小さな船泊まりの場所だったことを感じる。灯籠の台も見える。豪商の旧宅は、海が産んだ貿易の利かもしれない。歴史案内の標識には、七卿落ちや坂本龍馬についての記述がある。激動の幕末のひとつの舞台になっていたようだ。ふと地図を眺めると、下関海峡から京都へいたる瀬戸内海の海路の要所に、鞆の浦が位置するということに気づく。海を行き交う様々な人たちが、この場所を通っていたのだろう。さまざまな思いをもって。堤防に座り、海を眺める。岩の島には、小さな神社があって、人々はあの場所に神が宿っていることを感じていたのだろう。たまたま寄った場所だけど、鞆の浦はとてもよかった。

福山駅に戻る。在来線でそのまま尾道駅へ。時刻は夜18時を過ぎていた。尾道といえばラーメンということで、駅前にあった「尾道ラーメン たに」へ入る。スープが熱いことに驚く。背脂が絡む醤油味で、とても美味しかった。駅前のプロムナードは、きれいに整備されていて、遠くにはドックの灯火が見え、美しい夜景だった。若いカップルたちが散策している。

今夜の宿「あなごのねどこ」へ。ここは、古民家を再生したゲストハウスのようで、隠れ家っぽさがとてもよかった。スタッフの雰囲気もとてもよかった。近くの「尾道みなと館」でひとっ風呂浴びる。最高だ。宿に戻って眠る。風の音がガタガタと強く、すでに天気が荒れ始めている気がする。明日はサイクリングができるのだろうかと心配なったけれど、天気予報をみてもよくわからないので、今夜はただ眠る。明日のことは明日考える。▼あなごのねどこ

■台風直撃

明日はどうせ雨だろうなんてタカをくくって、アラームもセットせず、何も考えずに眠って起きたら8時だった。ちょっと眠りすぎたかと思った。雨音がする。ベッドに横たわってても、外で雨が降っていることがわかる。台風10号は、すでに尾道を通過しているものの、風はまだ強く、天候が落ち着くまでには、少し時間がかかりそうだった。レンタルサイクリングの受付にいくと、おじさんから「橋が封鎖されてしまっている」と言われた。厳密にいうと、尾道から今治への道には橋が6つあり、その3つ目の橋(県境の橋)が封鎖されているとのこと。慌てても仕方がない。正午くらいまで、天気の変化を見ることにする。

尾道駅前にあるミスドに入って、コーヒーを飲む。窓側の席に座って、外を眺めていると、雨が降っていて、風も強く吹いていて、目の前の海が荒れていることが感じられる。空の雲は急速に流れていく。自然の前では、ただ謙虚であるしかないな、そんなことをふと思った。ノートに日記を書きながら、店員さんが何度かコーヒーのおかわりをくれた。温かった。

正午近くになり、もう一度、サイクリング受付へ行ってみる。おじさんから今後の天候見通しを聞く。今日は自転車をやめて、バスを使って進むことを決断する。しまなみ海道をすべて自転車でいくという夢は潰えるが、仕方がない。完走する機会はきっとまたいつかあるだろう。また来ればいい。

ここから大三島(おおみしま)へ向かうバスは、1日に数本しかないので、時刻表をよく調べる。バスターミナル近くで、出会ったおじさんがおすすめのラーメン屋を教えてくれたので、そこへ行ってみる。朱鳶(あかとび)という名前だ。パチンコ屋の横にある、プレハブ小屋のその店は、こうでもなかったら絶対に入りづらい。せまくて少し落ち着かない店内ではあったけれど、尾道ラーメンは美味しかった。

海沿いを散策していると、「ONOMICHI U2」というスポットを発見。古い倉庫をリノベーションした内装空間が、おしゃれでいい。ホテルやレストラン、カフェ、ショップなどが入っていた。▼ONOMICHI U2

渡し船に乗って、向島へ渡ってみた。香港のスターフェリーを思い出した。

尾道側に戻り、千光寺へ向かう。長い階段を上ったその頂上からは、瀬戸内海の島々が見えた。鎖を使って登る岩が珍しくて、試してみた。旅人は高いところが好きなのだろうかとふと思った。近くにいた父と子の2人組が、なんか雰囲気が良くて、いいなと感じた。駅前の「島ごころ」という店で、「まるごとレモンスカッシュ」を飲む。

15:40、駅前からバスが出発する。因島大橋へ向かう。そういえば、数年前に出張で、因島へ来たことがあった。記憶のパズルのピースがつながる。サービスエリアのアイスが美味しく、店員さんがとても面白かった。ここで一旦バスを乗り換える。乗り場で、先に待っていた青年2人に先を譲り、そのささやかなやりとりが、人と人とのふれあいのように感じられて、美しいものだと思った。

大三島に到着し、本日の宿へ。この宿は、きれいで広く新しく、とてもよかった。I-link hostel&cafe

受付では、新人らしい女の子が、店長の助けを借りながら、初々しく、利用方法などを案内してくれた。部屋も広い。道路を渡った先に、コインランドリーがあり、そこで洗濯をする。

近くの海辺で、空と海と山並みを眺めていたら、これ以上何もなくても何もしなくても、これで十分だと思った。カニが歩いている。桟橋の先で腰をかけて、夕方から夜になろうとする景色を眺めている。近くで家族が散歩していた。その光景に美しさを見た。洗濯の合間に海をずっと眺めていた。空の色が変わる。波の音。遠く見えるあの青い船は、どこにいくんだろう。

宿に戻って、食堂でからあげ定食を食べた。ボリュームいっぱいで、夏野菜も豆腐もからあげも、どれも最高に美味しかった。台風はすっかり通り過ぎている。明日はサイクリングができるだろう。

■サイクリングはじまる

旅は3日目。朝5時に目が覚めて、宿の前にある海を見に行く。日の出を見た。少し曇っていたけれど、天気はもう回復している。堤防に座り、ファミマで淹れたモカブレンドを飲みながら、しばらく海を眺めていた。遠くで船は緩やかなスピードで進んでいる。トビウオが跳ねた。

8時半チェックアウト。宿から歩いて10分ほどの距離に、多々羅しまなみ公園がある。公園の中にある「上浦レンタサイクル」で簡単に手続きを済ませ、いよいよサイクリングがはじまる。

今日の目的地は、夕方までに愛媛県今治市に到着すること。南に向かって、ただ道を進めばいい。昨日のこともあり、ひとつでも多くの島を踏んでおきたいと思い、逆走し、すぐ目の前の多々羅大橋を渡って、生口島(いくちじま)にタッチしておく。島を1つ攻略したことに満足し、また改めて南へ向かう。

サイクリングコースは、きわめて分かりやすく、走りやすい。地面には自転車用の青線が引かれており、その線に沿って進めばいいのだ。自転車は快適で爽快で楽しい。

11時頃、大三島橋を渡り、伯方島(はかたじま)に到着した。「伯方(はかた)」といえば、「伯方の塩」と聞いたことがある。まさにその伯方だ。その塩を使ったラーメン屋さんがあるという。「さんわ 伯方島本店」というお店だ。

12時前に到着し、伯方の塩ラーメンと貝飯セットを注文。スープを一口すすっただけで、こんな塩ラーメン食べたことがないと驚いた。美味しい。貝飯も、あさりと貝柱がたっぷり乗っていて、だし汁が効いた絶品な一杯だった。

次は大島へ。大島伯方橋を渡る。途中休憩で飲んだコカコーラがとても爽快で体に沁みる。朝からのサイクリングで、足よりも、お尻が痛くなってきた。腕もなんだか痛い。長い時間、自転車に乗る習慣もなかったので、身体が悲鳴を上げつつある。

小説「海賊の娘」(和田竜著)を思い出した。その物語の舞台となった、村上海賊の本拠地の島が見える。せっかくなので「村上海賊ミュージアム」へ行ってみる。ところが、たまたま休館日で中には入れず。道を遠回りしてきた分、どっと疲れてしまった。

道の途中で、「石のカフェ」というコジャレた小さなお店を見つけ、引き込まれるように入ってみる。アイスコーヒーを飲んで、しばし休憩。

今回のしまなみ海道で、行きたかった場所の1つ「亀老山展望台」へ向かう。山頂へ向かって坂道を上り、自転車を漕ぐことは最初からあきらめて、ただただ押していく。後ろから自転車に追い越されて、前からは颯爽と自転車で下ってくる人々がすれ違う。ようやく山頂に到着した。展望台は、建築家・隈研吾氏の設計だ。山頂からの視界が一気に開けた。そこから見える瀬戸内の島々と来島大橋は大絶景であった。お土産屋さんで売っている藻塩ジェラートもまた絶品であった。(⇛ 亀老山展望台公園

いよいよ自転車の旅もクライマックスに近づく。来島(くるしま)海峡にかかる来島大橋へ。それはとてもとても長い橋で、吹きつける潮風が気持ちいい。景色も美しく、旅のクライマックスにもふさわしいダイナミックな直線だ。橋を渡りきれば、そこはもう四国である。サンライズ糸山という休憩場所で、これからサイクリングに出かけるという外国人から話しかけられて、道を教えてあげた。

18時、今治に入る。このまま今治城を見に行く。天守閣は、小ぶりなサイズで小洒落ている。駅前のレンタサイクルで自転車を返却し、今夜の宿を探す。宿の周辺は、スナックやら何やらのいかがわしい土地柄だった。ゲストハウスは、改装したばかりなのか、内装や設備は新しかったけれど、なぜだか心落ち着かない宿だった。おばちゃんが妙に馴れ馴れしく、少々うっとおしく感じたのは、旅の疲れのせいだろうか。

ご当地グルメ食べたいなぁと、店を探し回るが、なんかうまく見つけられず、旅の調子が悪い。すでに店が閉まっていたり、町全体が暗く感じられた気がした。

最後の最後でエイヤで飛び込んだ、一見怪しい外観の中華料理店「梁山泊」。隣のイスで、猫が眠っている。今治B級グルメ「焼豚卵飯」を注文。なかなか美味しかった。勇気を持って店に入ってよかった。旅をしていると、ときに店に入ることをためらい、恐れ、ビビるけれど、店員さんの暖かさに触れて、一瞬で安心することもある。それがいい。日常の中の人間関係も似たようなものだ。

ゲストハウスは相部屋だったけれど、他に宿泊客もおらず、ひとりで静かに過ごすことができた。でもなんとなく、今治という土地柄とこのゲストハウスが自分の中では心落ち着かず、明日は早々に出発しようと思って眠った。

■松山へ

4日目の朝。6時起床。逃げ出すようにして今治の町を飛び出した。そんな気分だった。朝イチの電車に飛び乗って、松山駅へと向かう。JR予讃線の車内はがらがらだった。席に座り、車窓から外を眺めて、くるりの「ハイウェイ」と奥田民生の「イージューライダー」のメロディを聞きながら、旅の微熱を感じた。改めて謙虚にならなくちゃと思った。「旅はこれから、これから」と自分に言い聞かせた。

8時過ぎ、松山駅に到着。駅ナカにあるパン屋「リトルマーメイド」で、デンマーク・ソーセージのホットドッグとアイスコーヒーの朝食。バスの1日乗車券を購入し、路面電車に乗り込む。

まずは一番行きたかった場所、「坂の上の雲ミュージアム」へ。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は、松山から始まる物語。私が好きな歴史小説の1つだ。明治日本が、近代化を進めて、帝政ロシアとどのように戦ったのか。初めて読んだのは、大学生のときだ。明治という時代の高揚を感じた。日本史を学んだときは「1904年 日露戦争」と一行で語られていたものが、一気に広がって深まった気がした。その中でも、秋山真之という人物が好きだったのは、兄がいる弟という立場が自分と似ていて、そこに共感したからなのかもしれない。

ミュージアムの建築も素晴らしい。設計は、建築家・安藤忠雄だ。三角形をイメージしているのは、主人公3人と重ねているのだろうか、と思った。展示1つ1つを、時間をかけてじっくり楽しむことができた。ひとつの小説をミュージアムにする。それは今まで見たこともなく、不思議な感覚だった。窓からは、旧松山藩主である久松家の別荘跡が見える。小説をもう一度読みたくなった。

昼食は、ご当地グルメが食べたいということで、「かどや」へ。ちょっと高級感ある店構えだけれど、ランチなら2000円程度で食べることができる。名物は「鯛めし」。愛媛県の中でも、松山というより宇和島の名物らしいけれど、お出汁が効いててとても美味しかった。来てよかった。▼かどや 大街道店

路面電車にのって、道後温泉へ行く。松山といえば、道後温泉。日本最古と言われる温泉だ。道後温泉本館に到着すると、建物の周囲はネットで囲まれていて、修復工事中であった。営業はしているらしい。まだまだ現役の温泉であることを初めて知った。せっかくのなので入浴してみようと思ったが、混雑のため、入場制限をしていた。観光客が多いのか、それともコロナ対策で人数制限をかけているのか、もしくは両方の理由なのか。次の空き時間枠を聞くと「夕方4時」とのこと。約4時間待ちなので、とりあえず整理券だけもらって、あとでまた来ることにする。

松山城へ向かう。ロープウェイに乗って山頂にたどり着くと、雨が若干降ってきた。司馬遼太郎は、「お椀をひっくり返したような、かわいいお城」と表現していた気がする。たしかに、戦国時代の猛々しさや勇ましさや威圧感もなく、平和な時代の平和な土地に築いた主張しないお城、という印象を受けた。それでも、防御性の高さはぬかりなく感じられ、同時に天守閣も美しく感じた。名城だなと思った。山を降りる。ウワサに聞いていた「蛇口をひねれば出てくるみかんジュース」を飲んでみた。

15時を過ぎ、そろそろ今夜の宿へ向かう。雨のせいか、夕方の時間のせいか、どっと疲れが出てきたような気がした。気持ちが後ろ向きになってしまう時間だ。さっきの道後の温泉の時間になったけれど、何だか面倒になってきて、スキップすることにする。

古民家を改装したゲストハウスへ。町の中心部からは離れていて、電車バスの交通手段もイマイチで、30分ほど歩いて到着した。まだ他にお客さんはいない。内装はきれいで、和室や囲炉裏があったり、宿自体はとてもいい雰囲気だ。ただ自分の気持ちが不安定になっているのか、なんだか気分が落ち着かない。旅の疲れ。それとも降り続く雨のせいだろうか。

宿を出発して、再び町の中心へ戻る。今夜は、大学時代の部活の後輩と飲む約束になっていた。お店で直接合流した(車で迎えにいくと豪語していたわりには、時間がないと言い訳を始めて結局、店集合になった。人間的に変わっていないようだ)。

8年ぶりに再会する後輩は、かつて細々として身体が太っていた以外は(サラリーマンは30代すぎると何故か太る)、あの頃とほとんど変わらない。酒を飲み交わしながら、楽しい時間を過ごすことができた。遠い土地での再会って素晴らしい。彼の行きつけらしいお店はコンパクトで、店主も横で飲んでいるお客さんもみんな顔見知りのようで、彼らとも語らいながら、いいお店だと思った。しばらく会ってなかった知人に連絡するときは、小さな勇気が必要だったりする。でも、連絡して会ってしまえば、その時間は簡単に巻き戻る。生きているあいだに、会うことができる人には一人でも多く会っておくこと。それはとても大切なことだと思う。鱧(ハモ)のフルコースを食べ、愛媛の地酒「雪雀」を嗜み、素晴らしい夜だった。

酔ったフラフラな体で、後輩に別れを告げて、タクシーで宿に戻る。ベッドに横たわっても、何だか眠りに落ちない。酒のせいだろうか。人と人をつなぐことが自分は好きなのかもしれない、とぼんやり考えた。

■梼原(ゆすはら)へ

6時、目が覚める。宿にいることが、どうにも落ち着かない。また逃げるようにして飛び出した。

今日は、梼原へ向かう。「ゆすはら」と読む。愛媛県と高知県の県境にある、山奥の小さな小さな村である。友人に話をしても、「どこ?」と反応されることが多い。ここ梼原を訪れたい理由は、隈研吾氏の建築を見てみたいからだ。ここ最近、隈研吾建築が私の中でブームである。新しい国立競技場の設計者でも知られている隈研吾氏は、この梼原の山の木材を見て、建築に対する考え方が一変したという。それ以来、この村とつながりをもってきたそうだ。その建築物を見てみたいと思った。

松山駅前でレンタカーを借りる。天気は雨。松山の町を出て、山道に入り、ひたすら一本道を進む。山の中は、道幅が狭く、後ろからぴたりと付いてくる大型トラックにビビる。山の端にかかる雲に幻想を感じた。雨はときに豪雨となって気まぐれに降り注ぐ。ずっと車を運転し続けていると、時間の感覚も失い、まるで別世界へと入り込んでいくような気がした。神様が住む世界は、こんなところかもしれない。ここには豊かな自然がある。日本は広いし、自分が知らないところもまだまだ多い。

ついに梼原村へ到着した。松山を8時に出発してから、時刻は11時になっていた。観光協会の案内所を訪れると、わかりやすい小さな地図をもらうことができた。隈研吾建築を訪れる観光客のための地図だった。まず「ゆすはら座」という木造の劇場へ。隈研吾氏は、この建築に出会ったことで、建築人生が変わったという。古い建物だけれど、まだ現役で使われているらしい。小ぶりで人の営みを感じる、素晴らしい木造建築だ。目の前にある、村役場が入っている総合庁舎もまた隈研吾氏の設計だ。

次に、「ゆすはら雲の上図書館」へ。図書館は森の中にある。そして図書館内もまた森の中をイメージして作られている。こんな場所で本を読める子どもたちは幸せだと思った。ちょうど休館日に当たってしまい、残念ながら入館できなかったけれど、わずかに立ち入ることができるエリアがあり、少しだけ内部を見学できた。木の香りがした。

マルシェユスハラ」を訪れたあと、ランチ時間になり、「雲の上のレストラン」へ。唐揚げ定食を食べる。レストランから歩ける距離には、「隈研吾の小さなミュージアム」がある。「インスピレーションを得るには、まず歩くこと」という言葉が心に残った。

雲の上の温泉」という銭湯へ。雨の中の露天風呂もまた味わい深かった。休憩所の畳の上で、少し昼寝をした。

14時半。この町にある、隈研吾建築をひと通り見ることができたので、出発することにする。松山へは戻らずに、一気に高知へ向かう。四国山地を超えて海へ向かうように山道を下る。運転しながら、ふと四国は「山の国」なのだと気づいた。山にかかる雲は幻想的で、ここにはやはり神様がいるようだった。山を降りると、徐々に家や人や町や暮らしが感じられるようになった。旅の終わりを感じ始めていた。高知駅に到着し、レンタカーも無事返却。お店の店員さんがとても温かかった。人間の世界にも温かさはある。

■最果ての地

すでに陽は暮れた夜7時すぎ。今夜の宿へ向かう前に、高知グルメを食べたいと思った。「高知といえば、カツオだ!」ということで、カツオが食べられるお店を探してみる。「ひろめ市場」という場所が歩いてすぐ近くにあった。高知グルメのさまざまな小さなお店が、飲み屋横丁みたいな形で集まっている。フードコートのように、一人でもグループでも楽しむことができる。観光客向けのようだが、地元の人たちも大勢いるようだった。ひろめ市場の中を歩き回ってみると、とても混雑していて、席の確保は無理かもと思っていたら、たまたまカウンターが空いている店があり、そこに座ることができた。海鮮系の食堂だった。とにかくなんでも食べてみようと思い、「かつおたたき丼」「イイダコの唐揚げ」それに「ウツボのたたき」を注文してみる。ウツボを食べるのは人生初だ。どれもこれも美味しかった。そのあと、別のお店で「ひろめコロッケ」を買い、食べ歩く。他にも食べてみたい料理がたくさんあったので、明日また来ようかと考える。 ▼ひろめ市場

路面電車に乗って移動し、今夜のゲストハウス『 LuLuLuルルル) 』に到着。シェアリングハウスっぽく、若者や一風変わった客層もいたように見えた。オーナーは親しげで良い感じの雰囲気の人だった。でも、その宿の明るくて若々しい雰囲気が、今の自分の旅情気分と少しずれてしまっていたような気がして、なんだか疲れを感じる。一人部屋がありがたく、シャワーを浴びて、すぐに眠った。

翌朝目覚めると、外はまだ雨が降っていた。高知は雨が多いのだろうか。なんだか雨にうんざりしてしまう。朝6時、早朝から桂浜へ向かうことにした。バス停「はりまや橋」から桂浜ゆきのバスに乗る。バスの車窓から外を眺める。高知市内を悠々と流れている川の名前は、「鏡川」という。読み方は「かがみがわ」、語感も字体も良い名前だなと思った。雨が降り続く景色を眺めながら、くるりの「ばらの花」のメロディが頭の中を流れた。雨降りの朝で今日も会えないや、なんとなく。

桂浜に到着。豪雨と強風で海は大いに荒れている。旅の最終日、ようやく果てまで来たことを実感した。有名な坂本竜馬像は意外と大きい。竜馬の視線の先には、荒れた太平洋が広がっている。竜馬は「日本を洗濯する」と言ったという。目の前の太平洋の荒波と洗濯機の水流が重なる。内海である瀬戸内海は静かだったけれど、外海である太平洋は広く、荒い。ふと自分の志とはなんだろうと頭の中に浮かんだ。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をもう一度読みたくなった。

高知市内へ引き返す。高知城に到着したときは、雨は土砂降り豪雨ピークになっていて、もはや着ている服もリュックも、びしょ濡れでとんでもないことになってしまった。天守閣に入る。上段の間を見ながら、山内容堂の殿様がそこに座っている姿を想像する。殿様は、吉田東洋とか武市半平太とか臣下たちと、この場所でさまざまな話をしていたのだろうか。歴史は生きていて、場所はそれを記憶している。

城を出て、旅の最後の高知グルメを食べるため、「ひろめ市場」を再訪。11時オープンに合わせて行ったので、まだ空いており、席も確保できた。「明神丸」というお店を選び、「かつおの寿司」「かつおのたたき」「かつおコロッケ」、とにかく、かつお三昧。たたきは、醤油よりも塩を付けて食べると非常にうまい。高知のかつおは柔らかく、甘かった。今まで食べたカツオはカツオと呼べないくらい、高知のカツオは格が違って最高だ。調子に乗った胃袋は、塩唐揚げと山賊唐揚げとコロッケも食べて食べまくる。

■旅のおわり

高知空港に到着すると、折からの強風と悪天候で、飛行機が離陸できるかどうかの微妙な様子であった。今日の予定では、このまま神戸空港へ向かうことになっていた。定刻になっても、待ち合いエリアでの待機を余儀なくされた。

1時間ほど経ち、ついに「運航決定」のアナウンスが流れた。ホッとしたのも束の間、「条件付き運航」という聞き慣れない説明があった。目的地である神戸空港の上空が強風であることが運航上の問題であるらしい。離陸はできても着陸できない可能性があり、場合によっては名古屋空港へ着陸する可能性がありますとのことだった。名古屋・・・。とはいえ、四国に留まっても一向に帰れそうにはないし、とりあえず海を渡って本州へ戻れば、あとは陸続きでなんとかなるだろうと思い、乗ることにする。今回フジドリームエアラインという航空会社(LCC)は初めて利用したけれど、機内はなかなか快適だった。

神戸上空に入っても、飛行機はくるくる回っている様子で、空中で待機しているということがわかる。機長アナウンスでは、風速が一瞬弱まったときを狙って着陸するという。がんばれ機長。やっぱり名古屋には行きたくない。

結局なんやかんやで、わがフジドリームエアラインは、幸運にも、神戸空港へ着陸することができた。最後の最後まで旅は思い通りにはいかないものだけれど、それもまた旅の醍醐味かもしれない。

<完>