2006台湾(同期旅行)

2006年、台湾の旅(グラホ同期で珍道中)

旅程:2006年11月28日〜12月1日

■旅の始まり

大学4年生、季節は秋。4年間続けたグランドホッケー部も秋の大会が終わって、引退となった。このまま冬を超えて春になれば、もう卒業だ。半年先というのも遠くない。学生が終わり社会人へ、そのカウントダウンは始まった。

これは、ホッケー部の同期仲間と台湾を旅したときの物語。

所属していたホッケー部は、男子部と女子部があり、練習や試合は別々でも、飲み会や旅行などのさまざまなシーンでは近くて深い交流があった。全体的に男女で仲の良い部活だった。思えば、そうではない男女の部活もあったりするので、我々はとても恵まれていたともいえる。その中でも、私の同期世代は、他の世代と比べてもとりわけ仲がよく、黄金世代と自分では思っている。男4・女4で人数バランスはよく、メンバーの個性や性格がグループの中でぴたりと合致していたのだろう。現役時代は同期での飲み会も数多くあったし、4年間の大学生活において、とても大切な場所の一つでもあった。

そんなメンバーで卒業旅行に行くことになった。

このメンバーの中で、自分は幹事的な役割を担うことが多い。最年長という年齢もあったし、性格的なものもあった。行き先については、海外に行きたいという気持ちが強くあり、日数や予算や手軽さといった理由から、台湾が選ばれた。もう一つの大きな理由は、メンバーの1人がこの時期、台湾に長期留学中だったことだ。

日本から飛行機で7人が飛び、台北にいた1人と合流。ネットやミクシィはあったけれど、まだスマホもWi-Fiもない時代。「台北駅近く、三越前に18時」という待ち合わせを決めていたものの、本当に合流できるのか、多少なりとも不安はあった。そこから3泊4日の台湾の旅が始まる。

■九份

九份という街を訪れた。台北駅から電車に乗って、瑞芳駅で下車。そこから路線バスに乗り換えて、ようやく到着。この街は、映画「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったと言われている。山の斜面に位置していて、階段や坂の上り下りが多い。狭い土地に建物は密集し、歩くだけで古き良き台湾の味わいを感じる。まさにレトロな町並みだ。

「九份茶坊」というお店に立ち寄った。古民家を改装した造りになっており、店内の雰囲気もとても味わい深い。そこで本格的なお茶を楽しむ。案内役として付いてくれた店員さんは若い女性で日本語も堪能。年齢も我々と同世代のようで、なんだか仲間がひとり増えたような感じがして嬉しい。お茶の入れ方や楽しみ方などを丁寧に教えてくれた。

天候はあいにくの雨で、傘をさしながら街の中を歩いた。旅先での傘はなんだか面倒だけれど、雨に濡れるとこの街は光を放つようで、これはこれでまた良いのかもしれないと気づいた。そうこうしているうちに、雨は上がった。見晴台から眺める遠い向こうには海がある。そこに虹が一つかかればまた美しい気もしたけれど、小説や映画のエンディングのようにはならないものだ。11月の天気は気まぐれなのだろう。

■仲間たちと旅する形

どちらかといえば一人旅が好きで、海外も1人で行くことのほうが多い。なので、今回、気の知れた仲間同士で海外に行くということは、自分にとっては珍しいし、新鮮でもあった。しかも計8人グループは大きいサイズだし、安全な台湾とはいえ外国を大人数で動き回るということも、初めての旅の形だ。今回、メンバーの中には人生初の海外という人もいて、幹事的な自分としては、無事で楽しい旅にする責任みたいなものも感じていた。引率という言葉が何となく合っている。

幸福だったのは、メンバー全員が(一応)協調性ある人々だったことに加えて、現地滞在で留学中の仲間が一緒にいたことだ。街歩きや電車移動でも、彼が中国語で通訳してくれることによって、大いに助かった部分があった。彼がいなければ、この旅はもっと困難なものになったかもしれない。(それはそれで面白かったかもしれないけれど)。

仲間たちと旅していたこともあってか、どこで何を見たとか、どう感じたとか、そういう記憶は薄く、ただ日常の延長線上のように、でも海外という非日常という空間の中で、楽しくゲラゲラずっと笑っていたような気がする。過ぎゆく日々の何気ない会話のことなんかまったく覚えていないように、何を話していたのか、どんな言葉が飛び交ったのか、そんな記憶はほとんど忘れてしまっている。交わした言葉は消えてしまっても、一緒に過ごした時間のことは忘れないのだろう。花の名のメロディが流れる。

■夕暮れの淡水

台北の中心部から、MRTに乗って淡水へと向かった。淡水河が海につながる河口付近では、もうすぐ日が暮れようとしていた。川沿いを歩く人たちはみんなのんびりしていて、一日の終りを感じる。通りに沿って、食べ物を売る屋台やアーケードゲームのお店などが立ち並んでいる。以前訪れたときも、こんなお祭りのような雰囲気だった気がする。

対岸が遠くに霞むほど、川幅は海のように広い。その水面にゆらゆらと揺れる光を見た。日が沈み、夜になった。さっきよりも人が増えてきたような気がした。闇に包まれていく中で、儚さのような、寂しさのような、さまざまな感情が自分の中に入れ混じる。夜の帳の中に、自分の心がはぐれてしまわないように注意する。心の旅路の迷子みたいに、ロストマンのメロディが頭の中を流れる。河は左から右へと流れていく。水は海にたどり着いて、やがて雨へと変わり、この土地にまた降り注ぎ、これからも同じことを繰り返していくのだろう。自分の迷いや感情だって、同じところを循環している気がするな。

子どもの笑う声が近くで響いた。犬の鳴き声が遠くに聞こえた気がした。若い台湾人カップルは手を繋ぎ、急ぐわけでもなく追い抜いていく。自分たちもまたゲラゲラと笑いながら、今という時間を楽しんでいる。想いはさまざまで、でも確かで、いつだって光を探している。

覚えていることはたくさんあって、忘れてしまったことや思い出せないことは、それ以上ある気がした。都合のいいものばかりを拾い集めて、調子に乗って自分の物語を美化して格好つけている。相手のことを思いすぎるが故、一歩を踏み出せないのかもしれないし、ただ全てが壊れてしまうことを恐れて慎重になっているだけなのかもしれない。いや、単純に勇気や行動力が足りない気がする。守りたいものもあって、だから自分の気持ちも伝えられず、悶々としながら、淡水の流れを見つめている。

■龍山寺の記憶

龍山寺は台北最古の寺院だ。平日の昼前の龍山寺も多くの人たちで賑わっていた。

旅の記憶を掘り起こしながら、ふと1枚の写真のことを思い出した。写真データをひっくり返して、アルバムの中にその写真がないことに気づく。データがたまたま消えてしまったのかどうか。写真は記憶を呼び覚ますことがたくさんあるのに、逆に、記憶があって写真がないということもあるのだろうかと不思議な気がしてくる。

本堂の前で、長い線香のような棒を数本持って、お祈りをしていた。個人的な感情が2つに分裂する。どちらも大切で、天秤にかけて決めきれずにいる。消極的な方を選んだはずが、それでもまだ迷っている。この頃は、そういう時期だったような気がする。箒星は路頭に迷った祈りと歌う。

龍山寺に私はそんな感情は置いたままにしてきたのかもしれない。その後何度か再訪するたびに、同じことを思い出しては、出口のない自問自答を繰り返すようになってしまった。選んだはずの道のりの正しさを祈り、そしていまだに自分は迷子なのかもしれない。

■旅のあとがき

今こうして、台湾のこの旅のことをふりかえるとき、人に対する感情というものばかりが思い出される。台北では、さまざまなものを見て、音を聞いて、おいしいものをたくさん食べてきたはずだけど、そのあたりの記憶は、どちらかというと、おぼろげだ。アルバム写真を手がかりにして、思い出すことはできても、なんとなく、写真と当時の感情がぴたりと一致してこない。ぼんやりと、あいまいで、ふわふわしている。

他の海外の旅では、こういう感覚はない気がする。もちろん思い出せないことはたくさんあっても、湧き上がる感情が写真とズレるという感覚はない。視覚映像と湧いた感情が、同じアルバムの中に収まっている感じだ。

でも、この旅に限っては違うようだ。2006年11月のこの台湾の旅だけは、何か異質なような存在感が、私の旅の記憶の中にある。それは多分、あの仲間たちと一緒に旅したからだろう。

大学の部活仲間という日常の存在のその延長線が、旅先という非日常につながっている。日常と非日常が区別されることなく、ボーダーレスになり、絶妙に混ざり溶け合って、あいまいな領域を作り出している。いつもの非日常という旅の感覚は、この旅の中では眠っている。感性が鈍ったわけではない。いつもと全く異なる感性が、この旅のときだけは働いていたのだろう。

旅の中で、常に人に対する感情が交錯していた。旅の物語の中に自分は参加しているはずなのに、それを映画館で映像作品として観ているような感覚がある。客観的に、仲間や自分のことでさえ観察しているような感覚だ。旅の写真を見ると、自分のカメラは自分の好きなものを撮ろうとしていて、心のフィルムにその映像を焼き付けていた。自分だけの心のフィルム。その色彩は、白黒やセピア色の記憶の写真で、ぼんやりしている。ぼんやりとしている宝物だ。

【完】