2006カンボジア

2006年、カンボジアの旅

旅程:2006年5月30日〜6月5日

■旅立ち

半蔵門線の青山一丁目駅を降りて、閑静な住宅街へと入っていくと、カンボジア王国の大使館があった。観光ビザを取得するのも、大使館に足を踏み入れるのも初めての経験だ。中に入り、申請書に記入して、カウンターにいる係官に渡す。「オカネ(=ビザ代払いなさい)。アシタ(=受け取りは明日以降だ)」と、二言聞いただけで、ビザ申請はすぐに終わった。申請と受取で2回も都内に来なくてはいけないのか。のちのちカンボジアで出会った旅人の話によると、シェムリアップ国際空港でのビザ申請なら、3分ほどですぐに発行されるらしい。

大学の部活の春シーズンがちょうど終わり、1週間ほど旅に出ようと思い立った。カンボジアのアンコールワットや遺跡群を見てみたい。ゼミの仲間から、アンコールワットは近いうちに上れなくなるかもという噂も聞いた。ならば行くなら今しかない。ベトナム航空に乗り、ホーチミン経由、アンコール遺跡の拠点の街であるシェムリアップへと向かった。

■アンコール遺跡群

早朝5時。バイクタクシーの後部席に座って、心地よい風が通り抜けていく。東の空には朝焼けが少しずつ少しずつ広がっていく。アンコールワットの正面口に到着すると、早起きな観光客たちが多く集まっていた。朝日が昇る幻想的な瞬間だ。

シルエットが浮かびあがる。闇から世界が目覚める瞬間。この日は、太陽が雲で隠れてしまっていたのが若干残念ではあったけれど、アンコール王朝の栄華を偲ばせるとても美しい光景だった。

■バイヨン

まずはバイヨンへ。ここは「宇宙の中心」であるという。「地球の歩き方」から引用すると、「この建物はメール山を象徴化したものである。メール山は、古代インドの宇宙観によると神々の住む聖域で、また神が降臨する場所でもあった。」とある。

何となくヒマラヤ山脈の奥地に迷い込んでしまい、いまにも仙人とか出てきそうな場所だ。まるで浮世から離れた隔絶の地にいるようで、まさに宇宙の中心なのかもしれない。内部の壁には素晴らしいレリーフがたくさんある。クメール人はレリーフが好きなようだ。

■アンコールワット

アンコールワットへ戻る。観光客がやはり多い。補修している箇所も多くて、石の床もとても擦り減っている。寺院の内部は、3つの回廊に囲まれている。その回廊には、壮大な絵巻物のようにレリーフが続いている。独特の雰囲気に、何となく背筋が伸びる。ここは神聖な場所なのだ。

アンコールワットの中心の塔。はしごをよじ上るような感覚で登る。降りてくるのも一苦労だ。近いうちに、この部分には上れなくなるのでは…という噂を聞いた。この場所の魅力に魅せられて3回も通ってしまった。ここは「地上の楽園」だと思った。

■タ・プローム

熱帯地方の植物たちの生命力には驚嘆せずにはいられない。そう感じてしまう遺跡「タ・プローム」。ここでは木が建物を食っている。

神秘的な力に包まれているような気がした。日本人的な感覚でいうと、神社の裏の林にある畏れ多い空気に似ている。ちょうど雨が降ってきて、空が灰色に染まった。雨のせいか、より一層神秘的な何かが引き立てられた。アンコール遺跡群がもっとも映えるのは、カンカン照りな夏空の下ではなく、どんよりとした雨雲の下なのかもしれない。タ・プロームは、好きな遺跡の1つだ。

■ベンメリアへ

さて、タ・プロームが「木に食われた遺跡」とするならば、それをさらに突き詰めた形で残っている遺跡もある。ベンメリアだ。シェムリアップから郊外へ50キロの地点にあり、なかなか遠い。「地球の歩き方」には「この遺跡は山裾を迂回するため、山賊に遭う危険があることも頭に入れておこう」とある。この21世紀の時代にも山賊はいたのか。少々恐ろしいと思う反面、ドキドキさせる道のりだ。日本のODA(政府開発援助)で作られたという道路を延々とまっすぐ進む。日本人として何となく嬉しく感じる。バイクタクシーで走ること1時間、寄り道しつつ、ガソリン補給しつつ、到着。

ここがベンメリアである。「木に食われた」を通り越して、「森に眠る遺跡」と言った方が正確だろう。それは「退化」なのか、むしろ「深化」というべきか。偉大な自然のチカラを感じさせてくれる。ここは「天空の城ラピュタ」のモデルにもなったらしい。

遺跡内の歩けるコースもよく分からないので、現地ガイドをお願いした。そのとき、「一緒にガイドをシェアしませんか?」と誘ってくれた女の子2人組がいたので、彼女たちと一緒に遺跡を回ることにした。台湾からきた2人組だ。のちのち「姉妹」と聞いてビックリしたが(最初は友達同士だと思った)、妹さんの方は英語も日本語も話せたので、会話もできて、楽しい時間を過ごせた。旅の出逢いは素晴らしいと改めて思った。ベンメリアはとても遠く、行くのが少し面倒だなぁと最初は思っていたけど、やっぱり来てよかった。シェムリアップへの帰り道、バイクの後部席で風を受けながら、そんなことを考えた。

■ゲストハウスの話

泊まっていた宿は、「タケオ・ゲストハウス」。シェムリアップを訪れる旅人たちにとって、有名なゲストハウスだ。個人的にはシングルルームよりも、ドミトリーが好きだ。シャワー・トイレは共同だが、シングルに1人でいるときの空虚感や閉塞感がなく、ルームメイトたちとすぐ仲良くなれる。しかも1泊2ドルと安い。ここで多くの素晴らしい人たちや風変わりな人たちと仲良くなることができた。旅先では、変な人ほど妙に映える。彼らのおかげで、この旅はより一層楽しいものになった。話を聞くと、長期旅行者が多いようだった。これからインドやパキスタンへ向かう者、逆にインドから来た者、東南アジアを一周している者、ユーラシアを横断する形でトルコを目指す者など、壮大なスケールで旅をしている人々だった。

このタケオ・ゲストハウスは、日本人好みの安全・安心を売りにしているような気がした。日本語の本・漫画もあり、ラウンジで1日のんびり過ごすこともできる。そして、日本食が食べれる「タケオ食堂」がある。ここの日本食は本当に美味しい。カンボジア人が作っているのに、日本人の口にぴったり合う。から揚げ定食、照り焼き定食、親子丼、オムライス…メニューも豊富で、安くて美味しい。

■ボランティア

ロリュオス遺跡群にあるバコン寺院という遺跡を訪れた。その遺跡の近くの休憩所でご飯を食べながら、店員さんと話をしていたら、「日本語を教えてくれる先生がここには来る」という話を聞いた。この日本人の先生は3ヶ月ほどボランティアとして日本語を教えているらしい。この地に留まり、クメール人たちへの日本語教育に身を捧げているとは、リスペクトの感情が湧き上がる。

その日の夕刻、ゲストハウスに戻ると、ラウンジに座っていた女性が、まさにその先生だったので驚いた。これもひとつの縁かもしれない。この日本語ボランティアにちょっと興味がでてきた。「自分も行ってみたいんですが…」と伝えると、先生は喜んでOKしてくれた。ちょっと楽しみだ。

現地に到着すると、寺小屋のような教室に、子供たちがひしめくように集まっていた。この夜間クラスは、ほとんど日本語が分からない子たちばかりだという。「オハヨウゴザイマス」とか、「アリガトウ」とか、「イッテラッシャイ」とか簡単な挨拶がその日の内容だった。「日本語を教える」というのが初めての経験で、どう教えれば伝わるか、よく分からず、先生にアドバイスをもらいながら、自分なりにやってみた。「分かるかな?」と聞いても「ワカリマセン」と返ってきたり、子どもたちは遊び始めたりと、もうチンプンカンプン。自分が役に立っている感じがしない。

でも、普通にひらがなを読んでたり、簡単なあいさつをしゃべってたり、「カノジョハイマスカ?」とか聞いてきたり(こういうのは万国共通だ)、みんな勉強熱心だなぁと驚き、逆に自分もがんばんなきゃなと刺激ももらった。ボランティアというのは、「教える」ことよりも「教えられる」ことの方が多い。それが経験になって、自分自身が成長する機会になるんだ、と改めて思った。1日だけだったけど、忘れられない時間になった。

■プノンペンにて

田舎町シェムリアップから、首都のプノンペンへ移動。バスで片道約5時間、料金は4ドル。バスを降りるとバイクタクシーとゲストハウス勧誘の洗礼を受けた。人も車もバイクも建物もシェムリアップとは桁違いで、その喧騒とした大都会の様子に、ぐわっと疲れてしまった。

カンボジアの歴史の話。

1976年から78年まで、ポルポトという凄まじい政治家の政権の下、カンボジアは暗い時代に包まれていた。自分が生まれる7年ぐらい前の話だ。このポルポトという男、毛沢東の思想に被れていたということらしいが、とにかく「完璧な国家」というものを作ろうとしたらしい。それは反逆者のいない国家。それを目指した彼が行なったのは、史上まれに見る大規模な粛清であった。嘘か本当かは問わず、ほんの1ミリでも疑いをかけられた者は、次々に収容所に放り込まれた。普通の学校であった建物が、ポルポト時代には収容所となり、悲惨極まりない地獄となった。その収容所が、現在「ツールスレン博物館」となっており、訪れることができる。

建物の中には独房がたくさん作られていた。国家とはなにか。正義とはなんだ。この世に生を受けた意味とはなんなんだ。そんな感想がこぼれる。

ポルポト時代には、カンボジアの伝統的な文化も破壊された。クメール文化の華「アプサラの踊り」は、9世紀に生まれた宮廷舞踊だ。「地球の歩き方」によると、「踊り子は王室古典舞踊学院で養成されていたが、ポルポト政権時代に、300人を超す先生や踊り子のうち、90パーセントもの人々が処刑の対象となってしまった。振り付けが記録された書物も、このときにはほとんどが消失した。」とある。

人々の営みとは、文化や伝統の継承という歴史の連続性があることに意味がある。その縦の糸をドス太いはさみでポルポトは断ち切ろうとした。しかし現在、喜ばしいことに、そのアプサラが少しずつ息を吹き返しているという。プノンペンにある「ヴァイヨ・トンレ」という小さなレストランで、そのダンスショーを鑑賞できるという話を聞いて、足を運んだ。

踊りや動きや衣装の一つ一つの意味は詳しくは分からないけれど、伝統舞踊が受け継いできた長い歴史というものを肌で感じることができた。文化観光とは、遠い国々の古い人々との対話であるのかもしれない。

アプサラはまだ再び立ち上がったばかりで、不安定な状態なのかもしれない。若い新しい世代に継承していくことが、いまここで必要なことだと思う。人がいない、すぐやめてしまう、伝統舞踊や伝統文化は常にこの悩みにさいなまれている。しかしそれでもカンボジアの子どもたちが一生懸命に踊る姿に、この国の希望を見ることができた。

■最後の夜

カンボジア最後の夜、バケツをひっくり返したような凄まじい豪雨が降り注ぎ、道路は氾濫した川に変わった。

プノンペンからシェムリアップへと戻るバスの中で、隣りに座った日本人の旅人と仲良くなり、その勢いのまま、宿もツインルームをシェアしていた。その彼が、ガイドブックのページを指差して、「この鍋を食いたい!行こうよ」と誘った。窓の外は豪雨で、部屋に引きこもっていたい天気。しかし今日は最後の夜でもある。

ゲストハウスのスタッフに聞いてみる。「ねえ、トゥクトゥクでこのレストラン連れてってくれない?」。ちょっと苦笑いをしていたが、快諾してくれた。この人、今さっきまで豪雨というシャワーを浴びながらシャンプーをしていた。

早速出発。道路はとんでもないことになっていた。川というか、大河というか、もはや水害である。これは歩いていくなど不可能だ。トゥクトゥクとスタッフに感謝だ。

「スープドラゴン」というお店に到着。観光客向けというより、地元の人たちが食べに来るという雰囲気があった。ここで「チュナン・ダイ」を注文。カンボジア名物の鍋だ。見た目は、日本の鍋そのものに似ている。野菜やきのこ、はるさめ、肉などが煮込まれている。ラーメンもある。違う点といえばパクチーが大量にあるぐらいだ。味も、とんこつ出汁のようなあっさりした風味で、自分たちの口にもよく合う。とても美味しい。カンボジア料理なるものを食べたのは、最終日にして、これが初めてだったような気がした。「来てよかったっすねー!」「とんでもない道路の氾濫も見れたしね!」。そんなことを2人で話しながら、トゥクトゥクで宿へと戻った。

■あとがき

アンコールワットが見たい!カンボジアへ行こう!という衝動に任せて旅へ出た。成田を出発する直前、友人と電話しながら、「悟り開いてくるわ!」って言い切っていたことを思い出す。はて、その「悟り」とは何ぞやと、ぼんやり考えてみる。アンコールワットのような場所へ行けば何か分かるだろうと少し期待したりもしたが、そんな立派なものは見えてこなかった。けど、旅行中に1つ気が付いたことがあった。自分はいつも他人の目を気にしすぎてしまっている、と。

自分の旅のことを、他の誰かに話したとき、どれだけ評価されるのかとか、一方でどれだけガッカリさせてしまうのだとか、旅をしながらそんな他愛もないことが頭をよぎった。すると「こんな旅は無意味だ」と思ってしまうときもあった。

旅の話を、日本に帰ってきてから友人たちに口頭で話し聞かせるというのが、実はすごい苦手だ。充実していた旅でも、それを伝える言葉がないと相手を感心させたり、笑わせたりすることができない。話もすぐに終わってしまう。相手の反応が薄いと、自分の旅の仕方が悪かったのかなとか、ちょっと自虐的になってしまうところがある。他人の目を気にしてしまうというのはそういうことだ。

その一方で、何とか思ったことを伝えたい、関心を持ってもらいたいという思いは常にある。だから旅を文章化することをこうやって続けている。そんなことをしているうちに悟ってくる。他人がどう自分の旅を評価しようが、自分は自分で楽しめばいい、自分の信じる道を突き進めばいい、going my wayでいいや、と。

旅だけでなく、これはもしかすると人生全般にも当てはまる。将来の進路の選択、好きなモノや好きな人を好きと言い切れる気持ち。他人の目をはばかることなく、自分のなかにある定規でモノゴトを測れること、そしてその強さ。それをもっともっと鍛えていかないとな。それが一番の「悟り」かもしれない。

カンボジアの旅では、素晴らしい人たちや、素晴らしい景色や建物に数多く出会うことができた。ささやかな歩みの中で、自分を成長させながら、また旅は続いていく。一つの旅の終わりは、終わりなき旅の始まり。

【完】